• エッセイ・ノンフィクション

読み返してみて。。

面白くも無い自分の書いたものを読み返して。。(苦笑)
面白く書こうともしていないのだけれど。。介護職をしてからの振り返りとして書いているのだから。。

大きな事に気づいた。。
怒りの出口が見つかる前までは仕事は上手く行っていた。。
今よりもっと気持ちがおおらかだったような気がする。。
人から裏切られたりという事は無く。。闇の5年間を除けば
案外社会に出てから恵まれていた事にも気づいた。

怒りの出口が見つかってからは不幸を呼び込むような生き方になっている。
おおらかではなくなった。事にも気づいた。

被害者であること。。にとらわれ過ぎていた事には気づいたというのに、
それを手放そうとすればするほどはりついてきたという事か?

では?一般的な被害者?
否、近親姦なんていう被害に一般的も何も無いのだろうけれど。。

割とみんなあんな親なんか。。という怒りの時代を過ごすことになる。。
見捨ててやる。。縁を切ってやる。。と言い募ればいい募るほど。。
縁が切れていないという事になる。。何故なら意識から外せないから。。
他人が加害者の方が意識から外しやすい。のだと思う。

4歳の私に性暴力したおじさんも。4人でレイプした奴らも、つい最近私に酷い痴漢被害をした女性看護婦も。。そいつらの人生を考えたり、どうしてそのような事をしたのか?なんて考えなくても時間が解決してくれた。。
こうやって文章化するから思い出して書くだけでそんな奴らとの関わりはそもそも切れている。
簡単に切って捨てる事は自分次第で出来るし、いつまでもいつまでも何十年も考え続けねばならない事はない。

親だとどうしてうまくいかないのか?
怒りはもう湧いてこないと言うのに、やっと手放せたのに。
変わってやってくる感情は悲しかったり、哀れだったり。。。
それは。。私に親の運命のカギを持たされたことでそれと決別しただけだというのに、
オマケのように罪の意識。までまとわりついてくる。

おおらかになれなくなってしまったのだと思う。

怒りが枯渇した分違っ、た負の感情まみれになっているからかもしれない。

そういった隙間に昔虐待を受けた私と父との波動に合致するような波動を持つ他人から吸い寄せられるようにイジメや嫌がらせをうけてしまうのではないか?

私の目的の足を引っ張るようなことを父はしてきたわけで、
私が目的を持てばもう父の影響はない筈なのに、その時、その時によって足を引っ張る人間が現れ、昔父が言っていたような文言でイジメられるというのが私の引き寄せなのかもしれない。

私は父を分かろうとし過ぎたのかなぁ。。

しかし、私自身が望んでいるのだろうと思う。。
父の悔しさや苦しみを分かってあげたいと望んでいるのだ。。


私が私の自叙伝を書きたいと願う事は
父が自叙伝を書くのと同じくらい私が父を理解せねばならない。
そして母が自分の自叙伝を書くのと同じくらい、私が母を理解せねばならない。
その為に同じような事を何度も繰り返し経験する事を私自身が望んでいるのかもしれない。

どうにもならなくて懊悩しながら死んでいった母の気持ち。。
若き日に自分の性を傷つけられそれでも口をつぐんで自分の歪みにも背を向け
歯を食いしばって生きる事を貫こうとした父の悔しさ。

もう、そういった境地まで理解できたのだから。
一区切りつけなさい。
このまま介護職を続けていたらどうしても現在の父親の境遇を憂いて苦しくなりますよ。。
一旦休んで解放されなさい。ということなのだろうか。。
一旦頭を空にしなさい。。ということなのだろうか・・
それなのに、私は自己分析せうにはいられない。。
やっぱり、ゼロか100かを追いかけているのだろう。。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する