• エッセイ・ノンフィクション

他人からの性被害と近親姦被害の違い

アマゾンの読者レビューに書き込んだ事がキッカケで
そこに妙な返信コメントが来てあれやこれや書き込んでいるうちに、
自分の書きたいことが明白になってきました。

いつだったか性暴力サバイバーのそのまた知り合いから揶揄された事がある。。
「そんな加害者親の事はさっさと忘れなはれ」と。。。

私のブログやフェイスブックとあちらのフェイスブックでのバトル。。
要は炎上させないために私の方に来て書き込むのではなく
おそらくフェイスブックつながりのお知らせの機能を使った各々でのページでの
バトルだった記憶がある。。

私に対して相手は多数でそのほとんどが性暴力サバイバーか?
にわかスピリチュアル。。要はヒーラーがヒーラーを養成し、それはピラミッド式の様に
繋がっている人たちだった。。

私の当時は過去との対峙中でヘトヘトではあったものの。。
今となって思うに随分自分の心を鍛えられたような気がしている。

その私を揶揄しようとした元凶の人々とのつながりはどうだかわからないが、
キーになったサバイバーの御友人の中に今回の作者がいる。。

要は近親姦被害者でありながら他人からの性暴力被害者と共に学んでいるのが
作者という図式。。

今回色々書き込んでいるうちに
いつかは纏めたいと思っていたテーマを思い出す事になった。。

性暴力被害と近親姦被害はやられた事が一緒でも回復過程は違う。。

そう。。。
私が言われた事で印象に残っているもの。。
「そんな加害者親はさっさと忘れなはれ。」
まさにその部分。。

それはあなたたち被害者より私たちが!といった被害比べではなく。。

何よりあなたたち被害者。。ではない。。。

私は両方の被害者であり。。
その両方の被害を心の中で片づけようとした時、
回復過程で雲泥の差。。質の差。。というものを
経験しているのだから。。
いつか、自分に起きた事を俯瞰でみれるようになった時、
この違いを書きたいと思っていた事を思い出した。。

もし、近親姦被害者の加害者親がどこかで野垂れ死んでいた場合、
忘れてポイしやすい事はしやすいが、それでは本当の意味で心の中で
加害者との対峙というものはしにくくなりそれは本人が気づかぬまま封じ込める事になってしまう。。

親とのかかわりの中でどんなに縁を切っていても後から後から追いかけてくるのが法律であり、
その法律からも逃れて忘れてポイ!では本当の近親姦被害の残酷さまでは語れないような気がする。

何せこれに関しては私は両方の経験者。。

いつかは書かねばならないテーマだったのかもしれない。。

仕事が立て込んでいるけれど。。
ぼちぼち始めるかな。。。

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