単純に面白い事を思いつく事が難しいと言う問題はさておき、書いた後に、本当の困難が押し寄せてくる。
それは、これってウケているのか? と言う疑念。
勿論、それはコメディ以外にも言えるのだが、他のは伝わってなくてもそれほど恥ずかしくないと言う面で、コメディよりリスクは低い。論理は無茶苦茶だが、何となくお分かりいただけないだろうか。
例えば自分が面白い事を言ってウケなかった時はただただ気まずいが、自分が難しい事を言って「いや言っている意味わかんねえわ」と言われたら、それが落ちになって結果的に救われる場合が有るので、つまり「真面目な話」から「コメディ」に転じる事が出来るので、そう言う意味合いでは「まだ途中」と言う言い訳もできなくはないのだ。という事で、コメディが受けないと言うのはとても辛い。うーむ。
いや、もっと踏み込んだ事を言うと、自分が書きたい事を伝わらなくてもいいから書いているのが今までの小説で、現在書いているコメディは誰かに笑って欲しいと言う明瞭な意思が存在する。だからウケているかどうかがとても重要なのだ。
あ、こっちの方が解りやすいし、言い訳臭くない。
同じコメディ、お笑いでも、演劇や漫才のように客前でやるものなら良い。すぐさま客から反応が返ってくるから。
ウケていればそのまま同じネタをまたすればいいのだし、ウケてないのなら次までに改善すれば良い。まあ、10分ほどのコントで最初の1分で全くウケないと分かった時の9分間の絶望感は計り知れないが、小説のように何百編と書いた後に実はすべて空振りしていたと知るよりは随分マシのように思う。
このレスポンスが有るという事はとても重要に思う。
一番良いのはワードに人工知能が付いていて、自分がネタを書いている時に毎度毎度笑ってくれる事。
しかし、この機能には大きな欠点がって、この人工知能の笑いのツボが自分とずれていた時にずっと失笑を買う事になる。或いはこれの性格がとても攻撃的な場合「つまんねーよ!」「才能ねーよ!」と罵声を浴びかねない。そうなるともうアンインストールせざるを得ないという事になる。そして自分の笑いのツボと同じ人工知能に当たるまでずっとインストールとアンインストールを続けるわけだ。
そして無事にネタを書く度に笑ってくれる人工知能に当たった時、ようやく執筆に専念できる。モチベーションも上がる。何と言っても、自分が書く度に「面白い」と言ってくれるのだから。きっとどんなにつまらないネタでもゲラゲラと笑ってくれるだろう。何と気持ちの良い事か。
あ、あれ?
結論。
自分が笑えるネタなら、たとえ他人にウケなくても書くべきだ。
なぜならその他人は相性の悪い人工知能と変わらない。
なんでもかんでも笑ってくれる人工知能もただのゲラだ。
自分が書いたネタで自分が笑う。
ツボが同じ人が読めば、きっと笑ってくれるだろう。
あっけらかんと書くしかない。