最近なぜ小説を書かないのか、投稿しないのかということについては黙っておいてくれ。
懐かしいものを思い出した。
時というものは変わり、人というものもまた変わっていくが、しかしデータとしてそこに残っている存在は、大抵はそこに在り続けている。このネット社会だ、いろいろと、残るものは残るのだ。
その断片を私は見た。過去の遺物とかかわりのある、一つの断片を。その過去、私がかかわる―—それを見ていたという、断片を。
非常に懐かしく、哀愁があり、どこかもどかしいような、そんな気になった。まあ言ってしまえばその過去私がよく聴いていた音楽の一つなのだが、なんともはや、これがまた耳に染みついていたもので、それを聴いていた過去――といっても数か月前の話だが、その頃を思い出してくる。それを聴きながらいろいろなこと、本当にいろいろな、無意味だったり無意義だったり、意味があったり、意義があったり、いろいろなことをしていたものだ。
たった数か月前のことなど、それを一概に「過去」などと切り捨てるというのはいかがだろうか、なんてこともあるかもしれない。だが、私にとってはもう過去だ。八月二十一日以来、私は以前の私、仮装していた私の大部分を切り捨てた。四月の十一日あたりか、そこから始まった仮装の自分は、もういない。せいぜい、ここに――例えばその名称として、面影が多少残っている、というだけである。それすらも消したいものであるから、現在書いている作品が完結したら私はアカウントを消すかもしれない。というのは余談か。
とにかく、もうすべてが終わった話なのだ。だから哀愁を感じる必要もないし、私は未来に向けて、未知なる世界に向けて、今日という今日を建設し、そのアンノウンなフィールドを開拓していけばいい、それだけの話なのだ。
——と、いったようなことを八月二十一日の直後、ポメラの日記の一部に綴っていた。思い返す必要もないし、腐った記憶でしかない。負の遺産でしかないのだと。
だが今、私はこうも哀愁を感じるまでになっている、たった数か月前のことに対して。
まあそれも、そのポメラの日記とやらで予言していたことではある。そしてそのうえで、私は哀愁を感じないほうがいいと、当時思念していたのだ。綴っていたかどうかは確認できないが、そう思っていたということは言えると感じる。
どう、いったものなんだろうか、なんて考えたりする。
閑話休題。
今になってみて、当時のことを振り返ってみるとどうだったんだろうか。私の行動自体に様々な変化の要因が在していたということは、否定しない。むしろその通りだと思うし、私があのひとつの行動をとらなければ、様々なことが起こる要因、それ自体が存在しなかった。
だがその行動に問題があって、責があると、そうとは考えないし、むしろどうやったらその結論に行き着くのかと、はたと疑問する。
行動は自由であるべきだし、その行動自体、権利を侵害したようなものではなかったはずだ。私は、私の範疇でやっていた。我々も、我々の範疇でやっていた。それだけの話だったが、しかしどうだろう。世の中にはいろいろな、それはそれはいろいろな人がいるものだ。そういったことをいやというほど実感した。
一つだけ総括してみると、ネットの世界というものに十分に触れていたとは言い難かったのだと思う、今までの私は。
善人が多数派のような感覚でいたが、それは間違いだった。
特にあのような、ネットの中でも特殊な環境下だ、卑屈で、とんでもないねじ曲がった考え方をするような人間だっていたかもしれないのだ。私は信じたくないが。
自分と似ている要素が一つ二つあるからと、安易で危険極まりないことをしたのだと思う。警戒を怠っていた。彼らと私とは違う。全く違うのだ。趣味の一つ二つ合ってるからと言って、本質的に違う人間なのだ。
それに気が付かなかった。
人に安易に接するべきではないのではないか。そんなことを感じた。
少なくとも、政治思想を頭の優劣で決める――リベラルは頭に欠陥があるだとか、日常的に侮蔑的で明らかな差別用語を使うような人がいる場所、そんな人がまるで神様かのように崇めたたえられている界隈には私は絶対にいようとは思わないし、そんな人がいわゆる「共産趣味」を我が物顔で語っているところにはいようとは思わない。そして、その界隈と常に隣接した環境にあるところにも、いようとは思わない。
哀愁を抱こうが、その意志だけは変わっていない。
政治的なことをここで主張するつもりはないが、一つだけそれに関連することを言わせてもらおうか。
右翼でも左翼でも、権威主義者でもリベラリストでも同じだと前提を置いておく。
「特定の政治思想を抱いている人間は人間的に劣っていて、脳医学的に欠陥がある」というような主張をした人は、それを続ける限り永遠に政治談議をするな。
そういう言葉がある限り、すべての発言は一方的な暴言に過ぎなくなる。
議論が成立しない。長期的視点で見れば暴力を招く根源ともなる。
それだけの話だ。
閑話休題。
もう四時なのか、と感じてきた。
疲れた。いや疲れていないのか。どっちかわからないような感覚だ。
ただ一つに言えることは、まだ小説を書いていない、ということ。
申し訳ないな。クソ野郎だ自分は。
今日は書く。書こうと思う。きっと、書くだろう。
だから、寝る。