分断国家の浪漫

別に不謹慎とかそういう話ではないです
東ドイツって知ってますか? ――今の若き人間たちが思い浮かべる「分断」国家ってのは、例えば朝鮮民主主義人民共和国とか大韓民国とか、北キプロスとか南キプロスとか、ちょっとひねくれてそうな輩は中国と中華民国、とか思い浮かべるのでしょうけども、二十世紀の分断国家でもっとも有名だったのが東ドイツであり、また西ドイツであったということがあります。ほかにもイエメンやら、南北ベトナムとかありますが、後者について南ベトナムは国家が破綻していましたので、触れないことにします。
とにかく、本題に戻って。
東ドイツってのは分断国家で、そして経済的には当然資本主義ひゃっほーの西ドイツ君に負けてます。西側がアナデアウアーだかアデナウアーだかアウアウアーだか知らん名前の首相のときから負けてます。ベルリン封鎖とかあるでしょう。そのときから人材は常に西へ流出する過程にあったのです。当時南が率先して北に行っていた朝鮮とは真逆にね。
ま、いろいろとあって、廃墟からの復活、という東ドイツ国歌のタイトルにもある通り、スターリン主義(既存社会主義)国のなかでは見事なまでに経済は成長して、社会主義国の模範とすらなるのですが、それでもやはり、壁の向こう側西ベルリン、西ドイツにはやはり負けていて、国民というのは大多数がそれを知っていたから、激しい劣等感がそこにはあった。
それを今まで埋めていたのが、「党」への忠誠。「社会主義」価値観。「プロレタリア独裁」。イデオロギーだったのです。それこそがアイデンティティだったのですね。
当然、社会主義人民がカイザーさまをたたえるわけにもいきませんしね。
しかし冷戦も後半に差し掛かり、西側と国交を結んだり、またソ連とアメリカ双方の対立が終焉に向かう頃になると、そのイデオロギーの影響力が薄れてきてしまったのです。どこに対立の必要があるのだと。同じドイツ人ならば、統一すべきである、と。
そして‘80年代末期になると、ゴルバチョフが追い打ちするがごとくさらにクレイジーなことをやってしまいます。
グラスノスチ、ペレストロイカですね。
これで、東ドイツは「社会主義」を完全に失い、そして、なににもましてすべてを失ったその国は、西の言われるがまま、統一するということになったのです。


そういう経緯があるのですが、私はこの「アイデンティティ」という部分に琴線が来まして、ここをいじくればもっと面白かったんじゃないかーーって思ってしまったんですよね。
要は、西のほうのアイデンティティを決定的に、失わさせる。そのうえで西は経済成長させ、逆に東になると、こっちのほうには西の望んでいたアイデンティティがある。しかし、経済は社会主義失政のもと堕ちて行っている。そういうような矛盾を作りたい。西の人間は東寄りは豊かで素晴らしい生活を送っているのだが、しかし他方で精神的支柱のしっかりとある、東のほうに潜在的な憧れを抱いている。自分のほうにはなにもない、空虚な成長しかないのに、しかし東にはそれがある。
そういったような蟠りを、私は描きたいーーいや、描くつもりです。

ラノベなんかじゃなくて全然いいので、受賞する気で書きます。

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