【詩 Drop】に「土」をアップ。
これは、第46回詩人会議新人賞の第三次選考に残った作品。筆名は、小箱。
たまたま締切が合うので応募したもので、発表の時期も覚えていなかった。メッセージをいただいて、嬉しさと同時に、これでは駄目なんだという、二つの感情を抱いた。その後、公募には出していない。そもそも、「詩」がわからない。もしも定義があるのだとしたら、たぶん、私のものは違うのだろう。

当時は、浮かんだ言葉を殴りつけるように書いていた。自分は何者なのか、何者かになりたくて、でも何者にもなれていない。では、何者とはなにか。そんな葛藤があり続けていて、時には人を疵つけていた。
【蒼の時間】のなかの、「こんな午後の、もの思うひとときが」は、さらに若い時のものだが、その本質は変わらないまま、「土」を書いている。まるで成長していない、つぶやいて勝手に閉じている戯言に過ぎず、『ああ、またか』的なものだ。

最近、また詩もどきを書くようになったが、やはり同系が多く、「こころのボール」もそうだ。あえて趣向を変えようとか、意識的に修飾の言葉を綴ってみたりするが、しっくりこない、気持ち悪さがつのってくる。だったら書くなと思うかもしれないが、書かないと多分、廃人か、自己凶器になる。だから、何でも湧くままに綴っては、少し読み直して、整える。これで浄化できたと思うことで、自分を修めている。

「土」を、改めて読み直してみて、『ああ、またか』ではあるのだが、最近思うのは、変われない哀しみ、可笑しみを、受け止めて『Do』(行動)していくか、ということだ。少しだけ俯瞰できるようになってきた、気がしている。つまり、いま、自分とかなり向きあっているのだと思う。

いつか、誰かのための言葉が湧いてくるまで、自分を削いでみたり、なでてみたりして、「こころのボール」を眺めることを続けている。