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【ナイショノート⑥ ~無色透明な主人公~】

久しぶりの更新となりましたが、新作投稿以外のカクヨム活動はボチボチしてますよ、と一応。
それと最近は、なんとなく他の投稿サイトも試してみようかと、若君を「なろう」に武者修行にいかせてます。途中ですが、まぁ微妙な状況と感想ですね。

それはさておき、無色透明な主人公の話です。
一人称で新しいのをかきはじめたとこですが、そこでふと思い当たったんですね。

一人称というのは共感を得やすくするために、最大公約数的な感性をもった、あまり特徴のない人物像がいいんだろうな、と。
しかし同時に主人公たるものそれでは面白みがないだろう、とも。

ゲームなんかでも半透明の影になったりしますよね。あんな感じ。

主人公の性格、そこから生まれる行動には、ちょっとフックが欲しい、でも共感できないとつまらなそう。
この辺のバランス感覚って難しいな、としみじみ思ってる最中です。

みなさんはどんな風に考えてますか?
この辺のバランス。

ちょっと聞いてみたいものです。

27件のコメント

  • こんばんは~(*´▽`*)
    一人称……。ここ数年、一人称は男性視点の古代ローマものしか書いたことがないですが……。
    自作の主人公は、あまり無色透明ではないような気がします。

    周りのキャラクター達の個性が強烈で、それを描くのなら、ワトソンのような語り手としての主人公という選択もありかもと思いますが、「読者様の憧れを形にする主人公」を狙う場合なら、ある程度の個性があった方がいいのかな、という気もします。

    【プロジェクト・フォートレスト】の近況ノートでヒマリ様が書かれていたように、読者様が共感できるちょっとした「抜け」があったら、個性的な主人公でも、身近に感じてもらえるのではないでしょうか?(*´▽`*)
  • 関川さま

    ナイショノートの復活、おめでとうございます(?)。こっそりと読ませてもらってました。

    今回のお題、難しいです。小説のテーマをどういうやり方で伝えるかにもよりますし。

    具体的な例を挙げます。最近読んでもらった『エンケラドゥス』、主人公「僕」の一人称です。前半は主人公の目を通して、周りの出来事が描かれます。前半、主人公はほとんど自己主張的なことはしません。無色透明とまではいきませんけど、無味無臭です。周りにどういう人がいて、何が起こっているかを、主人公の目を通して描かれているだけです。

    ところが後半、主人公の働く職場のシーン以降、主人公は自身の内面を語っていきます。自分に起こった出来事、それに対してどう感じたか、主人公の性格や良い部分、悪い部分が読んでいて感じられるくらいに、自分のことを語ります。

    実は、私はあまり読み手の共感というものを意識して書いてはいません。ただ、改めてその観点からみると、前半の主人公は、関川さんが言うような「最大公約数的な感性をもった、あまり特徴のない人物像」として描かれているのではないかと思います。なぜなら、前半は主人公の周りで何か不可解で不気味な出来事が起こっているということが伝わればいいからです。そこに主人公の特徴は邪魔ですよね。

    前半は、誰が見ても不可解で不気味な出来事が起こっていると感じてもらわなければならない、ということは、「最大公約数的な感性をもった、あまり特徴のない人物像」の目を通して見た出来事として描かれなければならない。もしも極端な性格の主人公だったら、読み手は「いや、私だったらそんな風に見れないかも」って思われるかもしれない。

    で、問題は、バランスということですよね(たぶんここまでは改めて関川さんに説明するまでもないことだとは思いつつ、すみません……)。主人公たるもの、「主人公の性格、そこから生まれる行動には、ちょっとフックが欲しい、でも共感できないとつまらなそう」。難しい……。

    私だったら、『エンケラドゥス』の場合、後半で主人公の内面が出てくるので、そこへの伏線になるようなものを入れるかなー。あと、主人公の性格から生まれる行動にフックが欲しいときは、思い切って入れる場合もあります。そこはもう読者から共感が得られなくてもいいや、くらいな感じで。『さよなら、ライトノベル』の場合だと、主人公の右京くんが、個人的な憎悪を解消するために非人道的な内容の小説を書いたという告白をするシーンがありますけど、あそこはまさにフックが欲しくて入れました。それまではどちらかといと、「最大公約数的な感性をもった、あまり特徴のない人物像」として書いていましたけど、そろそろガツンと一発キツイのをお見舞いしたいと思って。ああ、こいつって本当はこういう奴だったんだ、みたいな。

    バランスということでいうと、どうなんでしょう。たぶんですけど、読者がある程度主人公とか物語世界に馴染んでから、つまりある程度「最大公約数的な感性をもった、あまり特徴のない人物像」の役割を果たしてからフックを入れる、ということになるのかなー。ある程度進むと、主人公に感情移入していると思うんですよね。「最大公約数的な感性をもった、あまり特徴のない人物像」ならなおさら。そこでよっぽどのことがなければ、ある程度のフックを入れても大丈夫なんじゃないかと思いますけど。

    って長々と書いちゃってすみません。こういうのはケースバイケースなので一概には言えませんけど、私はそんな感じです。

    あ、あと、これ語りだすとむっちゃ長くなるので止めますけど、私、前から「完全に無色透明な主人公」ってすっごく書きたくて。これについてはまた改めて!

    ではでは!
  • 綾束さん、コメントありがとうございます!
    そう、周りに個性派がいる場合は、無色透明だとその奇抜さを表現しやすくなると思うんですよね。一般的に見てコイツはオカシイ、というのは中立的なキャラクターから描写することで納得しやすいと思うんですよね。
    まぁキャラクターに限らず状況なんかも異常・特異であれば冷静な視点の持ち主が解説する方がいいと思うわけです。

    ただそれだと主人公として弱いのが悩みの種なんですよね。
    観察者としてだけ存在するならアリでも、やはり主人公たるもの信念に基づいて行動してほしいですからね。
    かといってハチャメチャすぎると異常なキャラクター/状況が正常に見えてしまう、なんてカオスに襲われそうで、なかなか踏み込めないなぁ、なんて考えることが多いですね。

    抜けというのも身近さを感じますよね。完璧すぎるキャラクターには共感しづらいですからね。
    傍で見る分には楽しいんですけどね!
  • Han Luさん、こんばんは!

    いやぁHan Luさんのいわんとしていること、なんかすごく分かる気がします。
    というか、同じこと考えてますね、やっぱり。という感じなんですよね。

    まぁここだから書きますが、エンケラドゥスの主人公はすごくハルキさん的な香りがしたんですよ。ちょっと内省的で常識を大事にしつつ、日常から外れそうな因子をしっかりと押さえつつ順応している感じ。

    これって現代の男性サラリーマンとかが無意識に抱えている最大公約数だと思うんですよね。だから受け入れられるし、すごく共感を呼んでいる。

    そしてハルキさん的展開ではたいてい、この常識エリアから外れて、幻想世界のようなところでその欲望を発散させている、というような感じのものが多い気がしてるんです。
    で、私は最初の頃の作品はその発散具合が絶妙で好きだったんですけど、後半になるとそれがどうも苦手になりまして。

    しかしながらエンケラドゥスにはそれがなかったんですね。確かに主人公は最大公約数から抜け出すんですが、最後まで共感できた。
    そこがすごく面白い、好きだなぁと思った理由です。

    で、戻りますが、最大公約数から主人公の持つ唯一の特徴、ま、素数みたいなものですかね、そういうのが立ち現れるのが理想ですね。
    最大公約数の共感を引っ張ることで、その素数を自然に納得/共感させられる、そんな展開が私にとっても理想なのだと、このコメントを見て改めて思いました。

    言葉にするって大事。
    それは映像化にも等しい行為ですね!

    完全に無色透明な主人公、この話もぜひしてみたいですね。

    的外れな返信になっていないことを祈りつつ!
    ではまた。
  • 関川さま

    こんばんは~。関川さんの近況ノートの文章を見て、あーこれむっちゃわかるー、これは何か書かねば、と思いました。同じこと考えてますね。ちっとも的外れな返信ではないです。

    実はここだけの話、エンケラドゥスの前半と後半って、書いた時期が大きく違っているんです。前半を書いたのはもう十年以上前(昔過ぎて具体的な時期は忘れてしまいました)、後半はつい最近です。前半を書いた頃って、ご指摘の通り、村上春樹さんの小説をたくさん読んでいた時期で、村上春樹的世界や文章を意識しています。といいますか、これくらいなら私だって書けんじゃね? って書いたのがあれです。

    村上春樹さんの小説のお話をすると、とんでもなく長くなってしまうので、また別の機会にしますけど、私も村上春樹さんって苦手な部分があります。ただこれは関川さんと同じことろなのか分からないですけど。

    で、あの前半部分(2-07くらいまで)、実はもっと長くて、ほんとにどーでもいい文章、いかにも昔の村上春樹さんが書きそうなそれっぽいデティールがたくさんあったんですけど、それはバッサリとカットしました。お話としても未完で、ホラーっぽい要素もSF的な要素もありませんでした(もちろん前半部分も加筆修正しています)。

    今回それをもとに、村上春樹的な、関川さんの言葉を借りると「ちょっと内省的で常識を大事にしつつ、日常から外れそうな因子をしっかりと押さえつつ順応している感じ」に見える主人公を、村上春樹的世界から引っ張り上げてやろうとしたんです。確かに、村上春樹的主人公って、世の多くの「現代の男性サラリーマンとかが無意識に抱えている最大公約数」的存在かもしれませんけど、でももっと違う部分だってあるんじゃない? もっと泥臭くて、かっこ悪くて、みじめで、あがいてて、でも誰だってそういうのってあるんじゃない? そういうのが読みたいし、書きたいって最近思うようになって。

    なので、「しかしながらエンケラドゥスにはそれがなかったんですね。確かに主人公は最大公約数から抜け出すんですが、最後まで共感できた。
    そこがすごく面白い、好きだなぁと思った理由です。」って言ってもらえて、すごく嬉しかったし、びっくりしました。自分でもうまく言葉にできなかった、エンケラドゥスを書いた理由や目標みたいなものをうまく言い表してもらえた感じで。

    「で、戻りますが、最大公約数から主人公の持つ唯一の特徴、ま、素数みたいなものですかね、そういうのが立ち現れるのが理想ですね。
    最大公約数の共感を引っ張ることで、その素数を自然に納得/共感させられる、そんな展開が私にとっても理想なのだと、このコメントを見て改めて思いました。」

    素数というのはうまい例えですね。最大公約数的な描き方はやっぱり必要ですけど、そこから、その主人公の唯一の特徴みたいなものに光が当たるようなお話って理想ですね。ってほとんど同じこと書いてますね。あとはそれを物語の中にどういうタイミングで入れ込んでいくか、になっていくのかも。

    ともかく、もし、今回の私の試みが、関川さんにとってなにがしかの意味があったのなら、それだけで書いた甲斐がありました。

    うん、言葉にするって大事ですね。ほんとはもっといろいろと語りたいこともあるのですけど、いったんここまでにします。

    ありがとうございました! ではでは!
  • 関川さん、おはようございますー!

    なんだかご無沙汰しておりますが、「小説家になろう」の方でご活躍とのこと良かったです!!
    わたしもLINEノベルに旅に出ておりますが……Androidなので作品検索もコメントもレビューも機能がなく、現状面白くないです。。-_-;

    と、本題の「一人称」について。
    わたしは一人称視点の作品をただの一度も書いたことがないです。
    不器用なので、一番最初の小説を書き始める前に、自分はどちらで行くのか決めました。
    ただ、心情描写的に三人称は感情移入を得るのが弱いので、地の文に感情を入れ込む「一人称より三人称」というのを目指していますー。
    自分の作品を読み返して見る限り、この方法が良いとはぜんぜん感じないのですが、自分としては書くのにストレスが少ないので、ま、いいかと思っていますですー。ヽ(^。^)ノ

    そして主人公が無色透明かどうかですが、「一人称より三人称」という書き方を意識しているせいかもですが、できるだけ色を持たせたいと思いながら書いています。サブキャラにはさらに奇抜な色を……と思っていますが力不足でなかなか成就しておりません。
    主人公が一生懸命な姿で共感を得ようと……泥臭くて下手な努力をしています。。あぁ。T_T
  • Han Luさん、こんばんは。
    返信ありがとうございました。
    伝わったようでよかったです。やはりなんか思考が似てるとこ多々あるみたいですね。エンケラドゥスの前後で執筆時期がずれているというのはちょっと分からなかったです。それだけうまくつないでいたということでしょうね。
    ホラー風味も古典的な不気味さを感じさせるようで、なんかニヤリとしてしまうようなところがありました。それこそ昔見た、雰囲気で怖がらせるようなホラー小説/映画の感覚がありました。
    一人称小説の面白みというのは内面を深く書けるところにあり、それだけ共感を呼びやすいところであると思うんですよね。でもそこには主人公のもつ主観というのが必ずフィルターとして掛かってくる。
    で、そのフィルターが透明で自分の見ている景色と同じだ、なんて前半で思わせておいて、後半で実は色付きのフィルターだったとわかる。しかも自分もそのフィルターの色を持っていた、だからやっばり共感できる、なんてつなげられると面白そうだなぁ、と思っていたりします。
  • コノハナさん、こんばんは!

    コノハナさんのこれまでの作品を読む限りでは「一人称寄りの三人称」の選択は大正解だと思います。物語に奥行きがありますし、それぞれの登場人物にもちゃんとスポットライトが当たる感じがします。それがコノハナさんの作品の何よりの魅力ですし、物語/ストーリーの面白さを引き立てていますよね。

    コノハナさんの場合、主人公の頑張る姿なんかも、ストーリーの魅力ですから無色透明というのはちょっと路線が違いますからね。

    一人称はこだわる必要もないので、今度短編でも書こうと思ったときに試してみると面白いかもしれません。
    これはこれで主人公視点だけからくる不自由さが「枷」となって、意外と書く楽しみがあったりします。
  • 関川さま

    こちらこそ、いろいろと気づかせていただいてありがとうございました。多々ありますね、思考が似てるところ。

    エンケラドゥスの書いた時期、分かりませんでしたか。よかった。実は結構気にしていたんです。読んでて違和感があったらどうしよう、とか。ちょっと安心しました。

    昔のホラーって雰囲気がありましたよね。あと、昔の映画って、怪物とかが出てくるまでの時間が結構長くて、じわじわとくるあの感覚が好きだったりします。

    完全な無色透明の一人称って、たぶんあり得ないですよね。どうしても主人公の主観というフィルターがかかってきます。人が書いているわけですから、言葉の選び方ひとつとっても、そこにはやっぱり主人公の色があるわけですよね。

    関川さんの一人称小説、楽しみにしています。

    ところで、私は実は、今回のお話とはちょっと矛盾しちゃうんですけど、最初から最後まで極力主人公の内面が出てこない、ほとんど無色透明に近い主人公というのを、書いてみたいと思っています。主人公の内面、人となり、心情、思想や思考、そういうのが一切出てこないお話をいつか書こうと思っています。

  • ご無沙汰しております。
    この度はノートへのご訪問ありがとうございました。

    挨拶もそこそこに。
    主人公はできるだけ普通に、でも変人とは分け隔てなく接する人を描く事を心掛けています。
    実はそういう事ができる人がすごいのかもって感じて頂けたらいいなぁという野望を込めて。

    とても難しいです。
  • こんにちは~^^

    一人称ですと愛宕の場合は「自分」と照らし合わせて綴ってみるのが一番しっくりくるんじゃないかなと思ってます。実体験だけですと幅も狭いので、妄想も含めて「自分」を表現してみる感じ。慣れてくると、妄想の幅も広がり「自分」の可能性まで広がってくるような錯覚に陥ったりします(笑)
  • 関川さん、こんにちは!
    近況ノートにお返事をくださりありがとうございますー!!
    最近あまりカクヨムを読んだり書いたりできていなくて、お礼に来るのも遅くなり申し訳ありませんー。

    今まで「一人称より三人称」できましたが、関川さんにお言葉をいただいたおかげで、もし短編を書くならば今度は一人称にチャレンジしてみようと思いました!
    まずは……まだ短編を書いたことがないので短編用ネタ探しからですね。。

    先日完結した作品が暗い長編だったので次作は明るいのが良いかなぁと考えていましたけど、思いつくのは暗くてどろっとしたものばかり。。
    もともと根暗なので、仕方ないのですけど。-_-;

    「小説家になろう」に足を運んだことはないのですが、関川さんが投稿されているのでしたら覗いてみようかなぁと思ってます。
    作品を応援するには会員登録とか必要なのでしょうか……まずはそこから冒険ですー。^-^
  • 愛宕さん、こんばんは。
    コメントありがとうございます。

    自分の可能性が広がっていく感じ、なんか分かります(笑)
    読むよりも書く方が物語への没入感、ありますからね。
    ついつい錯覚しちゃいますよね。
    でもそれがまた書く楽しみの一つですね。
  • コノハナさん、こんばんは。
    コノハナさんも長編タイプですからね、コノハナさんがどんな短編書くのか読んでみたい気になりますね。
    一人称、最初やってみると不便というか制約が多い感じで、書きづらくて、そこが楽しくなってくると思いますよ(笑)
    ちなみにコノハナさんの作品はどれも明るくて前向きな雰囲気がありますからね、根暗かどうかは自己申告しないかぎり分かりませんよ。

    ちなみに「小説家になろう」への投稿はあくまで新規開拓みたいなものですから、内容も一緒です。ちなみに会員登録とかするとブックマークが出来るようになるみたいですが、登録しなくても普通に見れます。広告が多くてにぎやかですけどね(笑)
    でもコノハナさんもいずれ投稿するかもしれませんから、のぞいてみるのも楽しいかもしれません。
    もちろん私への気遣いは無用ですよ、吞気にやってますから。

    といいつつ、いつもありがとうございます。
  • 関川 二尋様

    こんにちは。^^いすみ 静江です。
    中の人はましろ こゆきです。
    ご挨拶に参りました。
    カクヨムコン4落選を受け、真白 小雪からましろ こゆきになった訳ですが、この度、いすみ 静江にお名前を変えることになりました。
    なんて、ややこしい。
    他サイトやツイッターでもこのお名前なので、見つけたらつんとつっついてやってください。
    従来の呼び名で大丈夫です。分かりますからw

    上記、透明な主人公ですが、週刊少年ジャンプに掲載していた、『黒子のバスケ』の主人公が、まさにそうかな?
    それとも少々似ている程度かなとも思いました。
    それから、意味合いは違いますが、透明マントってありますよね。
    ハリーポッターでも――なんたらかんたら。
    ご覧になったりされていたらネタばれになりますので。

    お体にお気を付けください。
    いすみ 静江。
  • ましろさん、いや、静江さん!
    こんばんは。コメントありがとうございます。
    改名されたのですね。
    静江さん、という呼びかけがなんか新鮮に感じます。

    本当に透明なキャラクターって確かにいましたね(笑)
    黒子のバスケはアニメで見ました。
    見えないこと、目立たないこともまた個性ですね。
    忍者とかも。
    目立っちゃいけないのもまた楽しいですね。
  • こんばんは!
    拙作を完読いただき、さらにはスターと感想ありがとうございます‼

    一人称ばかり書いているけれど、主人公の個性はあまり意識したことないかもしれないです……。でも、一人称って使い方次第では結構面白い書き方かな、と思います。主題とはズレますが、ミステリーなんかで余計な情報をクローズアップさせて読者の推理のミスリードを誘ってみたり……性別をミスリードさせておいて、最後に種明かし、とか。

    視点のキャラクターがとんでもない強烈な個性のあるキャラだったとしても、それがあからさまに読者様に伝わり、かつ他のキャラクターが上手くツッコミを入れていけば、読者様的にも楽しめるのではないかな、とも思います。(書いたことないくせに生意気言ってすみません汗)


    なろうさんにも投稿されたんですね。今度読みに行かせてもらいます!
  • 洞貝さん、こんばんは!

    レビュー書いてたとこでしたが、行き違いになりました(笑)

    『電気人間はモルフォ蝶の夢を見るか』、すごく面白かったです。なんというか雰囲気がすごく良かったです。
    まぁネタバレしない方がいい作品かと思ったので、控えめレビューにしてしまいましたが、ストーリーも面白かったです。壁に囲まれた町というのも、なんか親近感を覚えつつも、やはり違う光景だろうなぁなんて思ったり。

    蝶のビジュアルも青の鮮やかさが浮かぶようで上手だなぁと思ってました。
    少女ふたりというキャラクター設定も作品観にあっていたなと。かなり殺伐としたシーンもありましたから、対比だったのかなと。

    タイトルの■■もなんかカッコよかったですし。

    とにかく楽しませていただきました!

    そうそうこの話題も。
    一人称は制約がある分、そういった仕掛けに凝ると面白いですよね。
    わたしも日記風とかいろいろと一人称のバリエーション違いで工夫するのが好きなんですよ。

    なろうは始めたばかりで、ちょっとづつ読み手さんが増えているのを楽しんでおります。

    ということでコメントありがとうございました。
  • 関川さん

    たびたび失礼します。フライングお礼コメント失礼しました~('ω')ノ
    レビューとノートへの投稿ありがとうございます!

    今、ちょっと奇声あげながら、のたうち回って大喜びしてます。
    純粋にひたすら嬉しいのはもちろんなのですが、どこがどうよかったのか具体的に教えていただけて、今後の参考になるのでかなり助かります。


    ありがとうございました!

  • こんばんは~(*´▽`*)
    このたびは「いつか、あなたと手をつないで」に素敵なレビューをいただき、ありがとうございました~!ヾ(*´∀`*)ノ

    メールでも、切れているところなどないちゃんとしたレビューが届いておりましたので、お気になさらないでくださいませ(*´▽`*)

    男性も楽しめるとレビューに書いていただき、とても嬉しかったです(≧▽≦)
    本当にありがとうございました~!(*´▽`*)
  • おはようございます。
    拙作にまたコメントとレビューありがとうございます!

    いただいてばかりで恐縮です(汗)。
    関川さんの作品もゆっくりとなのですが読ませていただいてます。
    読んでいて世界観がわかりやすく、ギャグとシリアスを織り交ぜて進んでいく展開に、だんだんと引き込まれてゆく感じが読んでいて楽しいです。

    嬉しいレビューや楽しい作品をありがとうございます!

  • 洞貝さん、コメントありがとうございます。
    こちらこそ楽しい作品を読ませていただき楽しんでおります。
    なんとなくSFっぽいのから読んでおりますが、洞貝さんの作品はSFでも雰囲気とストーリーにちょっとフックがかかっている感じが好みです。
    あえて語りすぎないのを目指しているのかな、なんて思いつつ、正解というか解答に手が届きそうで届かないじれったさもまた楽しんでおります。
    今回の物語はやはり日常パートとSFパートの対比が面白かったです。
  •  関川さん。初めまして。

     一人称の主人公の話。興味深く拝読しました。
     僕にとっての一人称は、アダルトウルフガイに始まります。表現の幅としては絶対に三人称が優れている。そう考えていた僕の脳天を叩き割った作品です。
     指に、感覚が宿る。ぞくっと震える。
     その快感は、一種独特の物でした。

     透明な一人称。わかります。ほぼ三人称で進んでいて、ポイントで一人称の技も使える。三人称と違って、あまり遠くなり過ぎない。それは捨てがたいメリットです。それはそれでありです。

     一人称どっぷりの小説。その条件って何だろうって考えてみました。
     僕が感動したウルフガイの例からすると、あまり主人公が綺麗になり過ぎないことが必要なのかもしれません。自分から遠くなりすぎるとダメ。でも、汚過ぎてもダメ。共感すべき、何かの守りたい筋が必要になってくる。
     そしてあえて泥に沈んでみる。
     そうして書いたのが『俺オレサーガ』です。

     ストーリー重視の作者はどうしても、外側からストーリーを語りたくなります。僕もストーリー至上主義だったのでわかります。でも、それは選択肢の一つであって全てじゃない。僕はそう思います。
     
  • 油布さん、こちらこそ初めまして!
    お名前だけはHanluさんや奈月さんのところでお見かけしておりました。
    コメントありがとうございます。

    言っていることはすごく良く分かりますね。
    一人称のメリットはやはり身近に感じられるところ、でもその精神的な距離感が何より大事、そんなところでしょうかね。
    私も基本的にストーリー重視なのでどうもそこに重きがあって、一人称の制約を苦しく感じてしまう所があります。
    そのためにまぁいろいろと工夫はしていますが、やはり制約は制約、見たいに思っているところがあります。基本、主人公が見聞きしてないことは展開できないところとかですね。

    そう思いつつ読みだした俺オレサーガ、さわりだけですがすでに面白い予感がしました。
    近々じっくりと読んでみたいと思っております!
    ということで今後ともよろしくお願いします!
  •  こちらこそ、よろしくお願いいたします。

     一人称の制約と効果について。これって、小説の制約と効果についてを考えれれば理解できるのではないかと思います。

     僕は小説とマンガ、アニメのどれが優れているのかについて考えたことがあります。情報量はアニメが最大です。じゃあ、アニメが最も優れているのか。違うでしょう。
     マンガは声が聞こえない。動きも見えない。でも、時間や動き、声を感じさせることができます。感じさせることで、アニメにはない大きな広がりを表現することができます。
     小説は顔さえ見えない。キャラの描写を絵に近づけようとすれば、それだけで何十ページも必要になります。視覚さえほとんど奪われ、それでも表現しなければいけない。でも、だからこそ無限に感じさせることができる。そこにアニメやマンガと比較しても対等以上に戦えるジャンルとして成立する可能性があると思うのです。

     制約があるという弱点は、すなわち利点です。
     一人称と三人称も同じです。互いにその制約こそが最大の利点なのです。

     ハンター×ハンターに制約こそが念能力の力を増すという話がありました。まさしく、そういうことです。そこを踏まえ、リスクを理解した上で戦う。それがあのマンガの正解です。僕もそう思います。
  • 油布さん、こんばんは。
    再びコメントありがとうございます。

    油布さんのノートを拝見し、一人称の制約と効果、改めて考えておりました。
    制約こそが利点、という話は興味深いですね。ハンター×ハンターはアニメでしか触れてませんが大好きな作品ですし、制約の強さが能力に比例するというのはまさにあの物語の肝でしたよね。

    私が書いていて感じる一人称の制約というのは、とにかく主人公の知らないコトは書いてはいけないという所ですね。これをやると物語が不自然になってしまう。例えば会ったばかりの敵の背景について知っていたり、みたいなことですね。
    しかしながら、ココを打破することこそが書き手として面白いところでもあるんですよね。工夫の余地がある。
    今まで書いた中では
    ①伝記としての一人称にして過去を振り返る構成をとった
    ②三つの視点を独立させた物語にして足りない角度を補った
    という方法を試しています。
    あと考えているのは作者の一人称語りにする、という手もあるかなと思ってますが、これはまだ試してないですね。
    とにかく制約があるからこそ、工夫し、その制約を利点に変えたいという意志は共通しているかな、なんて思いました!

    逆に利点というのはとにかく心中描写を描けることですね。
    これは漫画やアニメ、映画ではどちらかというと邪魔になりますからね。もっともデスノートみたいな例外もありますけどね。

    また思いついたら書きに来ますね!
    ということでまた。
  • 関川様

    いつもお世話になっております。
    こちらからお詫びのご連絡、大変失礼致します。
    モノノ怪クリニックに、この前、評価を入れさせていただいたのですがiPhoneからの動作の際に星1評価が勝手に下がってしまっていたかも知れません。
    誠に申し訳ありません。
    iPhoneからの評価だと、星を付けた後に1星に、下がってしまう誤作動に本日、気付きました。
    現在、フォロワーの方の評価を再確認中でございます…m(_ _)m

    度々、ご迷惑をおかけしてしまい誠に申し訳ありません。今後は気をつけて行きたいと思いますので、何卒、よろしくお願いいたします。

    *akari*
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