文長です。
2020年夏のコンテストを見かけてちょっくら……と書き出した短編があったのですが、どーしても4000字に収まらないので諦めました。
短編を書くとなると、ひとつのお話を完結させることの困難さを痛感します。
そのお話はいつか掲載するかもしれませんし、
永遠にPCのメモリの肥やしとなるかもしれませんが、高校時代の実体験をもとにしたお話を予定していました。
その絡みでぼんやりと考えるのですが、
高校当時は、忘れてしまうこと、忘れ去られてしまうことが妙にこわかったように思います。
素敵な田舎の原風景に、過疎と消滅の現実が忍び寄ることも、
今日感じた風の匂いや、Pixivで漁ったノスタルジックな制服少女のイラストも、
ブックオフの立ち読みで心震えたいくつかの漫画の感想も、
Youtube(当時は画質も音質も粗々)で死ぬほど聴いたNumber Girlやbloodthirsty butchersの響き方も。
忘れる、忘れられるということは、“あったもの”が“なかったこと”になるわけで、それが残念とも切ないとも感じていたのです。
でも不思議なもので、今となっては、もう忘れてしまいたい、自分のことなんか忘れ去られてしまいたいと感じることの方が、本音に沿った気持ちになったように思えます。
ところが逆にそうなったらなったで、「それでもあれは忘れらんないわ」というエピソードや光景は、ますます純度を高めて心に残るのですよね。
そういったエピソードというのは数に限りがあるので、創作物という形で切り売りするのは何だか自分自身を消費するみたいで抵抗があったりもするのですが、
そういうところから物語というのは生まれるのかもしれませんし、
いつかはそれが自分自身の結晶として、文章に留めておける場面もあるのだろうと思います。
こういう取り留めのない文章を書き散らすのは楽しいですね。
2020年のGW、さようなら。