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フィン感! フィン感!

以前、読者不在の文章を書いていたことをノートで書いたけれども。
実は過去には、読んでくれる人のために書いていた。
一番の身内である母のために。
「おもしろい」と言ってもらうために。
だけど「この話、次ぐらいで終わらせたら?」とある日言われて、死ぬまで書くんだと思っていたのでショックを受けた。
それって、飽きたってこと?
わたくしは、がっかりして、その話を無理やり終わらせた。
それでも母が喜ぶ話を書こうとして、何万文字という短編集を書いた。
母は短編が好きなのだ。
それで、賞に応募しつつ、張り切って毎日。
けれど、そのうちまた母は読んでくれなくなった。
がっかりして、賞の規定に達したところで、話を終えた。
こういうことが重なると、わたくしの文は身近なひとにさえ読んでもらえないのだとかなり落ち込む。
だから、母のために書くのはやめた。
そしてぐれたのであった。

今のわたくしは、フィンディルさんに読んでいただくためにだけ、小説に取り組んでいる。
えーきちさんは、フィン感をすごいけれど、それが全てと思わない方がいいと、受け取った指摘は取捨選択すべきということをおっしゃっていた。
でもわたくしはまだ、フィン感を受けたことがないので、その時になってみないとわからないなと思っている。
もちろん、フィン感に責任をおっかぶせてはいけないし、誰のせいにもしない。
だけど、尊敬するフィンディルさんに、読んでもらいたいんだ!

フィン感の受付はこちら! → https://phindillnokanso.fanbox.cc/

29件のコメント

  • (あ、深夜ですけどもご心配ありがとうございます。私は大丈夫ですよ。こんばんは)

    規約にも書いてありますが、作品を拝読した結果感想執筆をお断りさせていただくことがあります。実際感想執筆をお断りさせていただいた作品もありました。

    感想執筆を断られると、まるで自分が全否定されたような気持ちになるかもしれません。水木さんはフィン感への想いが強いように見えますから、なおさらそう感じられるかもしれません。
    しかし感想執筆を断ることは全否定ではありません。
    また別の作品の応募は受けつけますし、応募を受けつけた作品は全て音読して読んでおります。
    感想執筆のお断りは飽くまで、私自身を守り、フィン感を維持させるための措置なのです。過去、私はどんな作品にでも感想を書いた結果、作者に本当に酷いことを言われたり、作者に本当に酷い態度をとられたことがあるので……。

    感想執筆を断られると、まるで自分が全否定されたような気持ちになるかもしれません。もう創作なんて続けられない! と思われるかもしれません。
    ですが感想執筆のお断りもまた、ひとつの感想であるというふうに捉えてもらえるとありがたいです。それはさすがに無理があるかしら……。
    少なくとも、水木さんの創作の結果ではなく、創作の道中であるというのだけは確かです。

    応募いただいた水木さんの作品に感想を執筆するかどうかはまだわかりませんが(まだ順番ではないので読んでいませんからね)、もし感想執筆が断られたとしても、それは決して全否定ではないのだということを今のうちから心に留めておいてくださると嬉しいです。

    また、私に読んでもらってフィン感を書かれるために小説を書く。これは創作のモチベーションのとり方としてはアリだと思います。
    フィン感は、できるだけ私の好みなしで、そして私の感性の届くかぎり面白さを拾おうと努力しています。
    現在フィン感でお書きした作品のほとんどはストレートな作品なのでわかりにくいですが、それなりに私の面白さセンサーは広いと自負してます。
    評価される傾向のはっきりとした文学賞や、攻略法がある程度明確にあるPV数よりも、熱意と結果にズレは起きにくいんじゃないかなあという気はしています。
    と言って期待させすぎるのは良くないかも!
  • フィンディルさま

    ななんですか!? 感動するじゃありませんか。
    真夜中に書きこみくださるなんて。
    ええい、もう言葉が邪魔です。
    ひたすら傾聴いたします。
    でも、無理はなさらないで。






    水木レナ
  • っあー、今超マイナス思考。

    人をけなす言葉を目にすると、がくーっと落ちこむ。
  • そんな、他人に対して「*ね」とか簡単に言うことの恐ろしさと、否定したい気持ちの正しさは、きっと言われた人にしかわからないんだよね。
  • ある程度、他人には無関心の方がいいのかもしれない。
    闇を覗くな!
    的な……。
  • 自分がマイナス思考なのに、プラスの思考を紡がねばならない難しさは、他者によろこばれるという点において払拭されえるのだろうか。
  • なかなかできないと思うぞー。
  • 言葉はなんのために必要なのだろうか。
    講師は思考のためと言った。わたくしはコミュニケーションの潤滑化のためだと思った。
    わたくしは文字で夢をみることがあるが、文字で考えたことはあまりないな。
    「考えろ!」
    って言われて、仏陀の涅槃図を思い浮かべた女だ。

    そういう人間だっているんだよ;;
  • 昔、右脳で考える人間はセラピスト失格っつう情報が入ってきて、マジか、わたくしどっちだ!? てなった。
    絵を描く人間は右脳派じゃないのか。
    それっていけないことなのか。
  • 右脳派だと、人とのコミュニケーションにアレだとか、そもそも考え方が違うとか。
    左脳派だって、ゴリラほどの察する能力ないじゃんか?
    派閥つくるなよ。
    かなしいよ。
  • で、今は脳梁の太さだとか。
    悩んで馬鹿みたい。
    も、ふりまわされんの、ヤダ。
  • 考えてみれば、十歳に満たないうちに左右どちらかの脳を欠損して、奇跡的にもう片っぽの脳が飛躍的に発達して、問題ないレベルで暮らせるようになったとかでもない限り、人間は右脳も左脳も、どっちも機能して生きてんの。
    だから、右脳派は論理的思考に弱いとか、断言できないのよ。
    右脳も左脳も、どちらも心を司る機関なんだから!
    連立方程式ができても、ケプラーの法則知らないとか、ざらにある! きっと!
    小さいころ、算数が得意でも力学苦手とか、きっとある! に、違いない……かなぁ。 
  • そもそも文法は、言葉を知らない前提で教えられるでしょ?
    普段使ってる言葉は、国語じゃありません、みたいな。
    たとえて言うなら、古語とラテン語のつながり探すみたいな。
    ありえないでしょ?
    ぜんぜんバラバラのところから無理やり共通項探すんだよ?
    でもまあ、現代語を祝詞にすると古語になるけれども。
    ラテン語を日本語に訳すとなぜか古語になるみたいなおかしさ。
    どうしてしゃべるように書いたらいけないのか。
    どうしてしゃべるように考えたらいけないのか。
    思考まで縛る、形式とはなんなのか。

    形式の中で自由に生きることはできないのか。
  • 自由ってなんだ? 知恵だろ?
  • 回答はあるのに、証明できないから困ってる。

    でたらめ?

    形式の中で知恵を働かせることこそ、許された自由じゃないのか?
    じゃあ、許されるってなんなのか。
    可能って意味なら、それこそ不可能ではないはずなんだ。
    はずってなんだ?
    なんで確実にそうだと言えないんだ。
    自分の考えなのに、どうしてはっきり言えないんだ。

    形式の中で知恵を働かせることこそ、自由だ。

    これが回答なわけだが、証明はできない。
    形式と真っ向から向き合わないことには、その過程すら追うことはできない。
    なぜか、わかる。
    直感だ。
  • 無理やりまとめると、
    「思考や意識を縛るのが形式」

    「形式の中で知恵を働かせるのが自由」
    形式は縛りである。
    これを代入すると、
    「思考や意識を縛るものの中で知恵を働かせるのが自由」
    という回答を得ることができる。
    思考、意識、知恵、これらは目に見える形にするには文字化が必要だ。
    言いかえれば、文字はツールだ。
    しかし、世の中にはツールを用いずに暮らす人もいる。
    孤独な隠遁者がそうだ。

    いや、回答はそれのみでない。
    思考、意識、知恵を目に見える形にするには……姿勢、発声、仕草なども使える。
    使えるが確かではない。
    なぜなら、文化圏によって異なる意味が生じる場合がある。
    そうすると、共通の認識に立った共通言語の大切さがここでわかってくる。

    堂々巡りだな。

    涅槃図を思い浮かべたわたくしに、共通言語らしい認識はない。
    それはすでに宗教であり、日本人にとってのタブーだ。
    学校で教えないだろ? だから新興宗教のおかしさに気づかず入信したりするんだろう。
    困ったことに、宗教はオカルトと混同する人がある。
    本当に困ったことに、オカルトが苦手なのに、神を信仰しているとか、マジおかしい。
    おかしいのに明らかにできない。
    これは、やはり不勉強で、学校で教えておいてほしいよ。
    宗教がなくして、哲学だって生まれなかったわけじゃん。
    日本人に神も仏も禁じた手合いは、日本人から哲学を奪ったんだと思う。
    なにか、都合が悪いからだと思うけど、それがなんなのかはわかんない。
  • 今から哲学いきなりやろうったって、根幹が抜けてるから、みにならない気がする。
    きっと袋小路にはまるか、途中で挫折するか道半ばにして命を落とすかする。
    これは直感。
  • 仏絵図でも描いていたほうがマシな感じかな。
  • あー、だから右脳派なんだ、わたくし。
    理論より直感だもの。
    で、回答に近いところまでいってる気がしてるもの。
  • 歴史に学ばざれば、経験に学ぶしかない。
    しかし、その経験さえない。
    己はいったい何者なんだ。
    愚者ほどに経験はなく、歴史を語るほどに賢くもなし。
    まるで赤子のようだよ。
    繰り言を言う年寄りのようだよ。
    なんで間がないんだ、わたくし。
  • 無力。無知蒙昧。無能。
    無し、無し、無し。
    しかし、案ずることも無し。
    死はやがておとずれる。
    騒々しくもあり、密やかでもあり、人それぞれに、平等に。
  • そういえば、学生さんに「無知の知ですね」って言われたことがあり、どう受け取ったものかと思ったが。
    あれは、なんだね。
    「習ったから使ってみたい言葉」だったわけかね?
    受験生であったことから考えるに、受験科目に含まれていたと考えるのが妥当。
    すると、歴史か倫理か、文学か。
    そのあたりであろうな。
    神学だったら、驚くぞ。
    ろくに話もしないうちから、そんなところを突いてくるってことは、右脳派なのかな。
    学問ノイローゼになりかけたって言ってたな。
    美大や芸大目指してたわけではないよな。
    女子大か短大かな。
    よかったねー。
    受かって。
    それっきりだったけれども。
    お目当ての異性のメアドを教えたら、縁を切るってすごいよな。
  • マイナスにマイナスをかけるとプラスになるというのは、算数の話で。
    今、マイナスにマイナスを足してる感じになってる。
    でも、夕べはよく眠れた。
  • 自分の心を大事にしないと、大切なものが見えてこない。
    逆に言えば、読者の存在を念頭に入れられるようになるには、自分の心を大切にすればいいんだ!
  • 「そんなに自分が大事か?」
    って、いう質問には、
    「じゃあ、あんたは?」
    って返すことにする。
    恋人でもない相手に、なんで体を開かなきゃいけないんだ。
    金持ちのボンボンは、感覚がおかしい。
  • 男なんて大っ嫌い!
  • 保育園の職員も、肝試しの時に、足を引っ張って転ばせてくれたから、きらい。
    怪我をしたら、どうしてくれるんだ。
    あれは暴力だ。
    肝試しに暴力つかうの、無しだろう。
  • 四歳のわたくしが、男子に怪我させられて、痛くて泣いてるのに、絆創膏のひとつもくれないで、お昼寝時間中に園庭に置き去りにしたの、あれは虐待だよね。
    で、五歳のわたくしがお昼寝時間中に廊下に立たされて、職員の目がまるっきりないときに脱走したのだって、職員の怠慢が引き起こしたんだよね。
    謝らないなら芋ほりに参加禁止っていって、一週間も責め立ててくれたのは、責任転嫁だよね。
    今だったらわかる。
    あれは虐待だ。
    うまくいかないことはその子供のせいで、うまくいったら先生のおかげ、ってエゴだよね。
    連絡帳に「青っ洟をたらしてました」って書くのなら「風邪気味のようです」って書いた方が良心的だと思う。
    つまりあの職員には良心がない、と結論付けることができる。
    あの職員は、今保育園の園長だっていうから、最低だ。
    幼馴染が登園しなくなったのも、園児が次々幼稚園に移っていったのも、環境が劣悪だったからだな。
    そうそう、アルバイト職員が言ってたよ。
    一か月の契約だったのに、六か月も辞めさせてくれなかったって。
    アルバイト、断ってよかったー。
    ていうか受験生をアルバイトに誘うってなんなんだ? なめてるのか? 高等学校では理由もなくアルバイトするのは禁止なんだけど。
    遊ぶ暇もないのに、なんで働かなくちゃいけないんだ。
    ブラックだろう、あそこ。
  • あかん。
    マイナス感情が、ぐつぐつ煮えてきた。
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