青春怪異譚30話。恋は秋菊の香り6話を更新しました。お盆のおかげで連続更新できましたが、また更新頻度がゆっくりとなりそうです。週2回更新できればよいのですが。
私はミステリーや推理ものを書くのが極めて苦手で、TRPGでGMをしていたときも、真っ正直なそのまんま、ひねりもないというシナリオを作っておりました。
まあ、そういったわけで、秋はミステリー風に殺人事件が起きていますが、ま~無理しやがって、我……です。
そのかわり、個人的な趣味をつっこんでます。
女の子です。
女の子たちかわいいな~!! て思いながら書いております。惨死している子もいますが、それはそれとして、女の子を愛でながら書いております。
初手で死亡した女子が既婚者非処女というのは、まさに私の趣味丸出しです。もう少しアホの子が好きなのですが、さすがに士匄が切れちゃうと思ったので、家庭的で働き者でございます。夫が死に子供がおらず、実家も親が死んでいて、売られました。
二番目に死亡した子は未婚ですが非処女です。非処女が趣味かよ。趣味です。まあ、男の空気感に『あっ察し』できる程度の経験値が無いと、趙武くんを囲めません。他の狄に居住地を襲われて一家離散で売られた娘です。狄は一つの民族や氏族ではなく、『定住していない非文明的な人々』の総称なので、ローマから見たガリアに近い呼称でしょう。何様だって感じですね。
当時は、人口の絶対数が少ないわけですが。為政者<民(自由民)<奴隷という割合ではないでしょうか。農奴のような奴隷もいたと思いますが、家庭奴隷も多かったでしょう。考古学新資料で、秦の『宦官』とされていた趙高が『教養奴隷』だった可能性が示されています。私も立場として宦官ではなく教養奴隷であった、のほうが納得です。
西方もそうですが、古代の奴隷は人権の無い存在ではなく『己の自由で人生を決められない人』だったのではないか、と左伝などを読むと思えます。
日本の宮中のように、貴族階級から子息や女性が出仕する、ということはありません。君主の身の回りの世話など貴族がするようなことではないからです。そういったものは、奴隷がするもの。そういう時代です。
奴隷に人権は無い、と言いたいところですが違います。
この当時、誰にも人権なんて無いんです。人権というものは、19世紀に入って発見されたものです。
ところで。
趙武という童貞以下を書くのがとてもしんどいです。
見た目が女子なのですが、本質は未成熟の男子です。
草食系男子という要領の良さや、絶食系男子のような達観も無い。小学生男子というわけでもない。
思春期が来ていないけど知識はある、女性に対してオボコです。童貞であることが『照れくさい』という発想ない。親(この場合程嬰ですね)に陰毛が生えていることが恥ずかしくて知られたくない、という第二次性徴にある思春期独特の葛藤儀式を通過なされておられない。
実は趙盾も思春期が抜け落ちている設定でした。彼の場合は、研鑽に全振りしたので思春期をねじ伏せてます。自分の初恋に自覚せず30年以上を過ごし死ぬ潔いほどのヤバさです。が、性や女性に対する鬱屈は特にない。良くも悪くも真っ正面を走る人生としてえがきました。
趙武は、母が不貞の妻ということを知った状態で再会し、『性的にだらしないこと』への生理的嫌悪があります。郤至が夏姫を紹介したときの嫌悪はこれですね。
女性への嫌悪ではなく、性そのものへの嫌悪でもない。『だらしない』が嫌なわけです。そして、女性に対して無防備で慣れておりません。また、弱者に対する優しさがあるので、一見女性に誠実ですが、女性に誠実なのではなく人に誠実なだけです。
こんな、童貞以下を女の子と絡ませて書くの、しんどい。女子が絡まなければ、便利なツッコミで士匄を引っ張るワトソン役なのですが。
士匄は女慣れしてるので書きやすいです。女の子を選別するし、愛玩動物のように見ています。クソじゃん。小賢しい女官はもう少し弱いところを見せてたら、士匄を釣れたよ。