正直今回書く内容は本埜も実践できていると言い難いです。
しかしながら、小説の基本的で誰でもわかっていると思われることを書きます。
それは自分の書いているキャラクターに対して、またストーリーに対しての向き合いです。
正直に言えばこれが無限に難しいと思っているふしが本埜にはあります。
その時キャラクターならどう思う? どう行動する?
これを考えるのが難しいのです。自分ではないキャラクターを心の内に無数に飼い、それが物語に顔を表していない時すらも想像して心情の流れを把握する。それがキャラクターと向き合うことであると思っています。
これが本埜には難しい。余りにも。
そればかりか小説はさらなることを要求してきます。ストーリーとも向き合うことです。
主人公の辿る道はいつも平坦ではありません。山あり谷ありです。その山をどう作るか、谷をどう作るか。それすら小説は作者に委ねてきます。
その山や谷の全てを美しく描く必要があります。
山を踏破するための力を主人公はどこから持ってくるのか。
谷を渡るその橋を主人公はどう架けるのか。
それを、描く必要があります。それはまさに空に絵筆を走らせるがごとく本埜には難しいのです。
これらを小説を書くときに本埜は大切にしております。
しかし、それが実践しきれているかというと疑問が残ります。
なぜなら、その美しさを判断するのは読者様達だからにほかなりません。
よって、ただ研鑽を続けることだけに本埜はいつか作品と呼べるものを書くために必死であります。