溺愛コン、落ちました。
第四皇子推しのモブ女ですがツンデレ妖魔に溺愛されて困ってます!
https://kakuyomu.jp/works/16818093081893356188まぁ、ラブコメ出しちゃったしね。
溺愛には縁がないし、そもそも向いてないジャンルなのは重々承知だ。
でも、書かなきゃよかったとは思ってないからヨシ!(๑•̀ㅂ•́)و✧グッ!
それはともかく。
この、溺愛コン作品もそうだけど、お話を書いていると時々、
「あ、ここでこの要素入れたい」
みたいなことがある。
それはプロットにはないものだけど、書きながら「こうしたら面白くなるかも」という思い付きのアイデア。
採用することもあれば、却下することもある。
ここで、時間軸?物語軸?がズレる。
いわゆる、パラレルワールド爆誕である。
向かうはずだった未来と、選択によって方向を変えた未来。
登場人物たちは当初とは少し違った道を行く。
それが正解か不正解かは別として。
青×青を書いていた時にもこれがあった。
あの話は、結末が3種類くらいある。
途中で少し道を変えただけで、こんなにも違うのだな、と実感した最初の作品だったと思う。
カクヨム始めて最初の1年~1年半は、何もわからずただ夢中で書いていた。
気の赴くまま、脳内に降りてくる話を模写するだけ。
でもそれは「小説を書いている」というところからは少し遠いな、と思い始めた。
考えて書くことを始めたものの、これがなかなかどうして難しい!
でも絶対必要なことだと思うので、続けている。
一つの物語には沢山の「エンド」がある。のだと思う。
一気書きでなければの話だけど。
アイチョロは(間が空いたけど)一気書きに近い。
「どこまで書くか」の選択はあったけど、流れは変わらなかった。
ひたすら真っすぐ、道が伸びていた。
この感覚は、面白い。書くのも楽だし。
いつもこれが出来るなら努力なんかいらんな。(笑)
唐突にヒカルの碁、という漫画を思い出した。
言われるがまま碁を打ってたヒカルが、自分で打たなければ意味がない、と碁を覚えていく、あれ。
私も、私の中にある「なにか(降りてくるやつ)」を利用しながら、でもそれに依存するのではなく自分を磨かねばならんのです。
私が書くきっかけになった人の言葉は、
「あんたの書く文章は面白い」
だったので、私はうまいわけではないと最初からわかっている。
伸びしろしかないじゃんね!(物は言いよう)
とはいえね、結果を出さねばなのですよ。
先は長い!( ゚Д゚)
世の中にはキラッキラな人が溢れてるからね。
どんどん先に行かれちゃう。
ゆっくりしてる時間なんかないんで、ガンガン書くのさ!
アイチョロ、好発進!(?)
国民的アイドルを目指していた私にとって社交界でトップを取るなんてチョロすぎる件
https://kakuyomu.jp/works/16817330654249493862