ユーミンの「ダンデライオン」を聞いた。
車の中で。
昔、この曲を聞いたとき、真っ先に思ったのは
「ダンデライオンって何?」
だった。
♪きみはダンデライオン~
ダンデライオンってなんだろう?
ダンデ、ライオン。
ライオンの鬣。金色にきらきらしている。
孤高の存在で、でもすくっと立っている。
といろいろ空想(妄想)しながら曲を聞いていました、かつてのわたし。
でも今は簡単にネット検索出来ます。
若い頭のときにネットなくてよかったな。
ネットがあると、空想する前に検索してしまう。
わたしは、空想(妄想)する癖がついてしまっているので、
ネット検索するにしても、さんざん空想(妄想)してから検索する。
検索は人から思考を奪うような気がした。
この間、にわ冬莉さんが「AIで書いた小説を出している人もいる」みたいなことを言った。
AIで書いた小説はおもしろくないんじゃないかな?
と個人的には思った。
でもその直後に、生まれたときからネットがある世代には
もしかしたらAI小説は好まれるのかもしれない、と思った。
そして、そういう人向けのものを、AIは書けるんじゃないかな、とも。
かつて、「記憶の領域はコンピュータに任せて、人間は新しいことの創造、思考をすべきである」みたいなことを外山滋比古は言った。
でも、今となっては、人間は検索するだけで、思考もAIに任せてしまっているように見える。
空想する前に検索する。
思考する前に、答えを求める。
簡単に答えが欲しい。
そういう人たちに示唆に富んだ物語は響かない。
なぜなら、示唆ではなく、明確な答えだけが欲しいからだ。
示唆から、考えることはしたくない。
なぜなら、答えのないことは好きじゃないし、
そもそも「時短」が好きだから「考える」なんて時間のかかることは好きじゃないのだ。
だけど、時代を超えて「名作」と言われるものは存在していて、
そういうものが好きな人は存在する、と思う。
空想するのが、考えるのが、好きな人だって、きっといると思う。
スピードとか整合性とか、ターゲットに向けた話を書ける力とか
そういう側面ではAIには敵わないと思う。
でも、物語って、読んでいると、ときどき心の深いところを触られることがあるでしょう?
わたしはそういうものが書きたい。