書評になるのでネタバレ嫌いな人はブラウザバックしてください。
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7月の終わりぐらいから書き始めて、一気に完結まで持っていきました。誰も読んでくれないなと思いながら、まあ小説は書けるからいいか、と思って最後まで書き通しました。途中まで読んでくださった方はありがとうございます。最初は気持ち的にお焚き上げをするつもりで小説を書き始めました。この小説は儀式的な小説なのです。
小説のテーマなんて何も考えていませんでしたが、キャラクターが動いてくれたので何とか書き切ることに成功しました。藤田茜が解離性同一性障害になってくれたおかげで、このキャラクターを中心にどうやって動かそうかと考えた時に、古郡至子というストックがありました。元々はシャーロット・アウグスタ・キャット・オブ・ワールドってふざけた名前だったのですが、髪の毛が灰色っぽくてメガネをかけていたずらっぽいキャラクターが至子にピッタリだと思いました。
解離性同一性障害はどう考えても簡単に治りそうな病気ではありません。症例を見ても重いものばかりですし、ドクター・ハウスだったら全員研修医送りになりそうなきつい病気です。「症例A」でも登場人物は様々な困難を持っていました。だから、治すための道筋として至子に特殊な催眠術と網膜が剥がれる副作用を与えました。これでテーマは確定です。
まず受験勉強という過去、心に傷を負った藤田の現在、臨床心理士としてバリバリ働く至子の未来。それぞれを描く事で交差します。人生は嫌なことばかりです。人生は時に楽しいことを提供してくれます。ところが、人生はそれでもなおつらいものです。それが70歳とか80歳まで続くと思うと、お釈迦さまはなぜ人々を地獄に放り込んだのか。それとも地獄が現実なのか。そう思うことがあります。キツイですね。
過去、現在、未来の全てが交差した時、もう何もかも取り返しがつかないんですよ。だから現実を取るしかないのです。現実を取って過去、現在、未来の全てを置き去りにするしかないのです。藤田は最後、取り返しのつかない事でゴネました。でも至子は藤田を説得して現実に戻るように諭します。それが最後のハグだったわけです。藤田は現実を取り戻しました。その代わり、虚構としての藤田は高校の図書室から手を引いたのです。
テーマとして血生臭いと思います。実際、藤田はきつい経験をしてきました。その経験を打ち破るのに必要なことを周りのみんなが自立をサポートしてくれます。もしこれが現実であれば、過去も現在も未来も置き去りにして現実を生きることを選択するのは相当大変だと思います。一人では困難だったでしょう。至子は万能のようですが、常に誰かがサポートしてくれています。警察も検察も藤田のことを自分なりにサポートしてくれています。私にはそれが社会だと思わざるを得ません。
菅原道真