• 歴史・時代・伝奇

岸壁の母

彷徨のJokerリターンズ先生の近況ノート「北陸新幹線 敦賀延伸 キター」に、以下の様なコメントを書かせていただきました。
そしたら急に皆様にもお読みいただきたくなりましたので、以下にコピーさせていただきます。

「最初に『岸壁の母』を歌った菊池章子さんは、この歌の練習を始めようとしても最初の2日間、涙にむせんで歌えなかったそうです。

私が中学生の頃、『岸壁の母』がリバイバルで大ヒットして若干お祭り騒ぎの様な感がありましたが、そのさなかに初代の菊池章子さんのこの逸話を聞いて、中学生の私は衝撃を覚えました。
今もこの歌のことを思うたびに、岸壁の母その人の涙、そして菊池章子さんの涙を思い、目頭が熱くなります。

今年は菊池章子さん生誕100年の年。
今こそ平和について考える年にしたいと思います。

深谷隆司元通産大臣は、79年前の満州からの引揚げの日々を今の事の様に生々しくお話しになります。
命からがらの壮絶な引揚げの旅路。
そして、辿り着いた佐世保の港で上陸した引揚げの人々は皆、大地に頬をこすりつけて泣いた、と。
『10歳の子供だったけど、僕も地面にほっぺをこすりつけて泣きながら、
「ああ、日本という国が、祖国があって、良かった。」
と思ったね。』
と噛みしめる様におっしゃいます。

今、日本を取り巻く国際情勢が厳しさを増す中、あらためて平和とは、そして国を守るとは、考える年にしたいと思います。」

10件のコメント

  • 私の大叔父・大叔母たちがみなさん満州からの引き揚げ者だったので、私も幼い頃から「生々しい話」を含めて多々伺いながら育ちました。

    極限状況におかれたとき、良くも悪くも「人間の本質」がむき出しになるようです。
  • アタシが新卒で会社に入社した頃、社長よりオーラを放っている定年間近のお爺さん社員がおりました。
    何と言うか厳しい中に優しさも内在しているオーラでした。

    当時三年上の先輩から
    『あのヒトは、満州でソ連の捕虜になりシベリア抑留されて生き残って帰ってきたんだよ』と…
    Σ('◉⌓◉’)
    その時思いましたね、極限の死地を経験した人って次元が違うんだな、って。
    (;´д`)

    稲邊センパイのこのノートを読んで、つい思い出してしまいました。
  • 稲邊富実代様
    先生の近況ノートが更新されるとワクワクしながら拝読させて頂いております。涙あり笑いありでとても癒されます!
     また医療、政治における先生の一貫した御意見を聴いた方なら、稲邊先生に己の1票を託したくなるはずです。どうすれば、先生を国政に送り出せるのでしょうか。
     先生の教養の深さに驚くばかりです!
  • 彷徨のJokerリターンズ先生 御侍史

    コメント有難うございます。
    拝読し、圧倒されました。

    私は上野が大好きで、下谷神社様によく参詣致しますが、上野を選挙区にして居られた深谷隆司元通産大臣は10歳の時 満州から引揚げ、暫く上野の地下道で御一家で暮らされたそうです。
    なけなしの財産である荷物を奪われない様、リュックを抱きしめながら雑魚寝した上野の地下道での日々。
    その時、親を亡くした子供たちの生きざまをすぐそばで見て居られましたので、よくお話し下さいます。
    私はいつも、宮城まり子さんの「ガード下の靴磨き」の歌を思い出します。

    私たちが次の世代の語り部にならなければ・・・との決意を新たに致しました。

    今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
  • 無名の人先生 御侍史

    貴重なコメント、有難うございます。
    大叔父様、大叔母様は、きっと満州では上流階級としてお暮しでいらっしゃいましたのに、一瞬にして地獄の様な引揚げの辛酸を御経験なさったのでございますね。

    今回、あまりにも昔のことゆえ、おそらく皆様には関心を示していただけないであろう、と覚悟致して居りましたのに、この様な貴重なコメントをいただき、感激でございます。
    寧ろ、いつもより多くの方々がコメントをお寄せ下さり、感動致しました。
    そして、今が最後の機会かもしれない・・・我々が次の世代の語り部にならなければならない、との決意を新たに致しました。
    今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
  • タンティパパ先生 御侍史

    胸が熱くなるコメント、有難うございます。
    拝読しながら、「異国の丘」が脳裡にこだましました。

    シベリア抑留のさなか、抑留兵 吉田正青年の自作の歌が絶望しそうになる仲間を励まし、生きる力を与えた。
    その歌は、やがて帰国を果たした復員兵たちが歌い広め、戦後の焼け野原で絶望しそうになる国民を励まし、生きる希望を与えた。
    それが「異国の丘」です。

    吉田正氏はその後、昭和を代表する大作曲家となり多くの名曲を世に出しましたが、私は「異国の丘」は桁違いだと感じます。
    「異国の丘」は 天がこの国の国民に下さったものだ、と信じてやみません。

    私たちが、次の世代の語り部にならねばならない、との決意を新たに致しました。

    今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

  • Dame9425先生 御侍史

    身に余る御言葉、感激のあまり涙がこみ上げました。

    Dame9425先生は、昨年4月私が「プリマドンナ・デルモンド 誰も知らないモナリザの秘密」を連載し始めた頃、まだ誰も殆ど読んで下さらなかったあの最初の時期にフォローして下さいました御方・・・あの時の感謝と感激の念は筆舌に尽くせません。
    あの感動は、終生忘れません。

    そのDame9425先生から、今日この様なコメントを賜り、涙が止まりませんでした。
    今日の感動も、終生忘れません。

    今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
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