無名の人先生、今月も25日が巡って参りました。
今月も、ギフト有難うございます。
ギフトはおろか、直接のコメントさえもお受け取り下さらない高潔な無名の人先生・・・
毎月、25日が来るたびに、私ははっと襟を正し、決意と誓いを新たに致します。
まして今月6月25日は、私にとって特別な日です。
楠木正成父子の櫻井の別れは旧暦五月二十五日。
おそらく新暦では1か月遅れの6月25日頃だったと思われます。
そして、6月25日は小渕総理の御誕生日。
2000年5月14日夜、お亡くなりになった小渕総理の御体を載せた御車が順天堂大学病院を出て国会議事堂の前に差しかかったその時、それまで雨も降っていなかった夜空に突如、雷鳴がとどろいた。
明治初頭、数世紀開けられることの無かった夢違観音様の御厨子が開かれた瞬間、晴天に突如雷鳴がとどろいたと申します。
私は、あの時、涙にむせびながら
「小渕総理は、ただ人ではなかった。
天人だったのだ。
だから、約束の時が来たから、天に還って行かれたのだ。」
と感得致しました。
小渕総理が脳梗塞に倒れた4月1日、御命日の5月14日・・・その間、私は毎日、豪雨の日も小渕総理のためにお百度を踏み続けました。医者だから誰よりも分かっていたのに、それでも奇跡を祈り続けて・・・そして、御誕生日の6月25日、毎年必ず思い出します。
かつて、
「私みたいな気の優し過ぎる人間は、政治家に向かない。政治家になれない。」
と思っていた私は、小渕総理を見て初めて
「優しい人でも、政治家になれるんだ。」
と開眼したのでした。
私にとってかけがえの無い6月25日、高潔な無名の人先生からギフトを賜り、一入、決意と誓いを新たに致しました。
無名の人先生の御心、決して無為には致しません。