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無名の人様 御侍史  芸術的な御返信、有難うございます。

無名の人様 御侍史

芸術的な御返信、有難うございます。
尊敬の念を一入深めました。

疲労困憊のあまり、御無礼なことをお書きしたのではないかと蒼ざめて居ります。
何卒お許し下さいませ。
チコちゃんは永遠に5歳。
私は永遠に18歳のつもりで生きて居りますので、成熟ということを考えたことも無く、大変失礼致しました。

ハイレベルな御作をいつも一抹の緊張感をもって拝読させていただいて居りますので、ちょっぴり厳格で近寄り難い御方かと思って居りましたが、あたたかくお優しい御言葉に感激でいっぱいになりました。

ミラノやフェラーラを思い出深い地とお呼びになりますのを拝見し、胸が熱くなりました。
私はイタリアに行ったことがございません。
憧れをかき立てられますが、イザベラのいないマントヴァを見るのが何だか怖い気がして・・・

既に随所で書かせていただきましたが、
「どうしてこの様なことが私に分かったのかしら?」
「どうしてこの様なことが私に見えたのかしら?」
と不思議に感じることばかりで、運慶が
「自分が仏像を創るのではない。
木の中に埋まっているのだ。
それを彫り出すだけだ。」
と言った様に、この作品も木の中に埋まっていたのだと感得致しました。
だから、私の力で創れる様な作品ではないのでございます。

本来なら「拙作」と呼ぶべきでございますが、さぬきのみやつこまろはかぐや姫を褒められても謙遜する気にはなれなかった様に、私もこの作品を自分のものだとは思って居りませんので、謙遜したり「拙作」と呼ぶことが出来ないのでございます。
さぬきのみやつこまろは、自分はかぐや姫の親に相応しい器ではないと思っていたことでございましょう。
私も同じでございます。
でも、さぬきのみやつこまろのかぐや姫への愛は本物だった。
最後に、羽衣を着る直前、自分は不死の薬を少しだけ飲んで残りを育ての親に飲ませようとしたかぐや姫に、さぬきのみやつこまろは
涙にむせびながら
「かぐや姫のいないこの世に、何で生きる必要があろう。」
と言って号泣した。
私も同じでございます。

一人でも多くの方々にイザベラ・デステ侯妃を知っていただきたい・・・それが私の悲願でございます。

決闘に赴く前夜、21歳のエヴァリスト・ガロアは自らの高等数学理論をしたためたノートを親友シュバリエに託した。
シュバリエは、その後40年の人生を「ガロア理論」を世に広めるために捧げ尽くした。
21世紀の今、数学史に燦然と輝くガロア。
でも、シュバリエを知る人は僅かです。
・・・私もシュバリエの様に生きたい。
それが、私の天命だと思って居ります。

そして、もう一つ、イザベラ・デステ侯妃の様に身命を賭して国を、国民を守れる政治家になりたい・・・どうか、それも私の天命であります様に!

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