ごく最近、私は初めて読者の御方から応援コメントをいただき、感激でいっぱいになりました。
その御方への返信をしたためながら、これは是非、読者の皆様にも知っていただきたいと思って、思い切って今日は筆を執らせていただきました。
「プロフィール」にも書かせていただきました様に、1986年夏、私は夏目雅子さんのことを思い、また数年前まで受験生だった頃 愛してやまなかった古典の美意識を惜しみなく織り込んだつもりでこの作品を書きました。
でも、今読み返してみて、何故こんなことが私にわかったのだろう、何故こんなことが私に見えたのだろう、と不思議に思うことばかりで、
「運慶は
『私が仏像を創るのではない。
木の中に仏像が埋まっているのだ。
それを彫り出すだけだ。』
と言った様に、これは私が創った作品ではない。
木の中に埋まっていたのだ。」
と感得するに至りました。
しかし、精進を極め尽くした運慶とは異なり、小説執筆では全く素人の私に白羽の矢が立ったことを思うと、責任の重さに押しつぶされそうです。
決闘に赴く最後の夜、21歳のエヴァリスト・ガロアが自らの数学理論をしたためたノートを託した同級生のシュバリエは、ガロア理論を世に広めるため生涯を捧げました。
シュバリエの気持ちが初めて少しわかった様な気が致します。
もしも、自分の不手際や努力不足のために、これを埋もれさせてしまったら・・・そう思うと、涙することがしばしばです。
そう思いつめて、読者の方々の反応(と言うより、無反応)に一喜一憂する毎日でしたが、ごく最近になって、もっとおおらかに読者の皆様を信頼しよう、と思える境地に至りました。
その様に信頼出来る様にして下さいましたのは、読者の皆様です。
そして、この作品に頼ることなく今も私は衆議院選挙候補者公募に応募し続け国政への精進を続けて居りますが、このカクヨムを通して、
「今まで私は国民を表面的にしか見ていなかった。
哀感も何もわかっていなかった。
こんなに多くの人々が、こんなに様々なことを、こんなに深く考えているんだ。」
と圧倒され、衝撃を覚えました。
これを国政に反映し活かすことのできる政治家になれたら、とさらに真摯に励んで居ります(42名の入院患者様を必死で診ながら)。
そんな私は、読者の皆様からのアクセス、♡、☆、フォロー、そして応援コメントによって、どんなに感動し救われたことでございましょう。
皆様は私にとってかけがえの無い友であり仲間です。
今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。
皆様の御活躍を心からお祈り申し上げます。