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音や絵から響くこと。

先日、ピアノコンサートに行きました。
銀座ヤマハホールにて、マエストロ飯森範親氏のナビゲートで
實川風さんのピアノ。演目はドビュッシーでした。

前々から、素晴らしい絵を鑑賞したり、気になる写真を観たり、
心躍る音楽を聴いた時に、感情を言葉にしてみたいと思っていますが
ステキなものの前では、それは陳腐で藻屑のような気がしてしまいます。

それでも、それが自分の心の奥にあった欠片でも
誰かに伝わらなくても伝わっても、何か書き記してみたい。
手帳でもいいのですが、私にはココがあるので少し残してみましょうか。



マエストロは、ドビュッシーの絵が印象派なのか、或いは象徴派なのか
はたまたまるで違うのか、という視点でコンサートを企画されています。

私にとっても、ドビュッシーの曲はとても絵画的です。
どの曲からも、月灯りや流れる風といった自然の情景が浮かんできて
多彩な色に溢れてロマンチック。
時代も相まって、とても印象派らしいと思っていたのですね。

でもドビュッシー本人は
印象派と言われることに反感を持っていたそうです。
やわらかく繊細なもの、という意味の他に
どこか曖昧で、というような揶揄も含まれていたせいでしょうか。

勝手な評論家にあれこれ言われて自分を決められたくなかったでしょう。
物事には表と裏が必ずあって
ほめてくれた言葉の裏を探りたくなるような気になるものです。

ふと、考えてしまいました。
私も自作を「雰囲気がある」と言われると、嬉しい反面
中身がなく空虚な世界をなぞっているだけという意味も感じます。
私は明確なテーマを持って作品を書くということをしません。
1シーンを映してそこを表現していきたい。
そう考えると自分に合うのは、散文詩的な世界なのかもしれません。
原点回帰というか、暗中模索というか、今私が追いたい言葉は果たして。
ほっといても書きたくなる時が来たら、またはじめましょう。



音を言葉でなど、とても語れはしないけど。
私がピアノを聴きながら、感じたことを最後に記しておきます。
實川風(ジツカワカオル)さんのピアノは、色を奏でるようでした。

最初のプレリュードはまるで水。翡翠色。
月の光は、思わず天を仰ぎ見る薄明かりの白い月。
沈める寺は、深い緑色の水底に吸い込まれていく。
亜麻色の髪の乙女は、甘くはしゃいだ少女の姿。
アラベスクのタッチの美しさはオーロラのようで。

最後の花火。
彼の手がそっと置かれた時、鍵盤のラインはまるで湖に張った氷の表面のようで、最初はそれを撫でるよう、あくまでもやわらかいタッチで。
いつしかその氷は力強い指に叩き割られ、熱を持ち、花火の爆発と落下がそこに目まぐるしく表現されていたようでした。



★居間正三さま。
『演劇青年シンジケートの野望』にレビュ、ありがとうございます。

「死を演じ、愛を焦がす」すてきなキャッチフレーズです。
これは演劇ごっこなのだろうと思います。とろける恋が本物。
この作品で、私はバリエーションを広げたかった。
だから、拙いですが自分では気に入ってるので、嬉しいです。

六月より愛をこめて。

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