小説を読むって、食事をするのと似てる

 常々思っていることがあります。

 それは、小説を読むのは食べ物を食べるのと似てるというか、ほとんど同じなんじゃないかということです。

 「何を言っているんだコイツ」という人も、「ああそうかもね」と思う人も、とりあえず理屈を説明してみようと思いますので読んでみてください。

 お腹がすいた時、何を食べるのかの基準として重要なのは、見た目と味です。それらを小説に例えてみると、表紙と物語(ストーリー)になるのでしょう。料理の見た目は表紙や挿絵や文章の書き方、味は物語(ストーリー)。こう対応しています。

 第一に言いたいことは、見た目がいくら良くても肝心の味が悪ければそれは不味いんだという点が、同じだよねということ。それはもちろん逆もしかりで、内容がいい作品なら文の頭に段落がなくて平らだろうと登場人物の語尾がやけに安定しなかったり妙にくどかったとしても、やっぱり面白いということになります。
 うーん、やはり通じるものがあるな……。

 第二に味=物語(ストーリー)について掘り下げていきます。この方程式が表しているのは上記でも書きましたが、美味しい=面白いということ。そこで、どちらにも共通しているスパイスとして、『オリジナリティ』を挙げておきます。

 小説にとってのオリジナリティとは、その作品を読んだ時にしか感じないような独特の面白さだと思うのです。食事に言い換えると、独特のうま味ということになりますかね。同じような味ではやはり人間飽きてしまいますから、同じ種類だとしても少し違うものを味わいたい。そこで求めるのが、繰り返しますが『その作品を読んだ時にしか感じないような独特の面白さ』となるわけです。

 例えば複雑で凝った料理を食べると、人は確かにそれを「食べたことのない」「珍しい」味として認識します。しかし肝心の味がよくなければ、結局誰もそれを食べようとはしません。小説にとっての味は物語(ストーリー)ですから、複雑で凝った設定はあくまで物語の面白さを引き立てるものでしかないのです。

 まあ売られながらも消えていく作品は単純に味(ストーリー)が薄かったり単調だったり見た目(挿絵や表紙)が悪いとかもそうですが、現在とんでもなく人気な作品とほとんど同じ味だけどちょっと香辛料を変えてみましたくらいでは、よほど味がよくないと(それこそ大人気の作品と同じくらいじゃないと)売れませんし読みませんよね。
 だからある意味、二番煎じと呼ばれる作品である程度の人気が出ているのなら、それをパクリだの言う前に食べてみましょう。案外おいしいんです。だってメジャーな味を独自にアレンジしたものですから。

 ……話は脱線したのでしょうか。よく分かりませんが、ともかく書きたかったことはそこそこ詰め込めたと思います。本当は好き嫌いの話とかを小説の好みになぞらえて色々書きたかったのですが、今回はここまでにしておきましょう。味だの料理だの書いているとお腹がすいてきたので、プリッツのトマト味を食べて寝ます。

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