昔書いた自分の小説を今になってもう一度読み直す、ということをたまにやる。自分で書いたものではあるけど(話の大筋はともかく)何を書いたかこと細やかには覚えていないため、意外なことに自分で自分の作品を楽しめる。
「面白いじゃん」と我が事ながら、いや我が事ゆえにほくそ笑むことができたりするのだ。
しかし、それと同時に打ちのめされるという体験もままある。こんなこと思うの俺だけかな。
昔書いた小説のほうが文章がウィットに富んでると言うか、オーパーツめいて達者に感じる。語彙力だけでなく文の流れがスムースで読みやすい。無駄がないとも言える。
それで、今の俺にはこの頃のような文は書けないな・・・と負けた気分になる。
特に拙作「構造化心象のペリ・プシュケース(旧題:構造化心象のピカレスク)」はその最たる例だ。
現在これに似合う文が全く書けなくなってしまったので休載中である。
なまじ無作為に知識を身に着けたせいか、今の文章には贅肉がついている気がする。あの表現を使いたい、この表現を使いたいと欲張りになっているのではないだろうか。
あとやっぱり俺には三人称視点から文章を書くのは苦手だ。主人公目線で、ト書きの文も一人称視点で書かなきゃツマラン文しか書けん。
なんなんだろうね、これ。三人称視点にすると心理描写がないのが一番の原因な気がするけれど。