• に登録

真実はひとつだろうと人の数だけ真実はあるから、世は無常なのだ



ここ数か月は、春先に爆発したストレスを引きずっていたおかげで、寝るか仕事か読書かの三択生活だったのですけど、そのうえでさらに嗜好系のみ読み漁っていたおかげで、ちょっと疑問が。

小説を読むにあたって、感情移入するときと没入はすれどあくまでも傍観者であるときとあるのは何故なんだろうか。

いや、感情移入したって傍観者であることに変わりはないのだが。なんというか、没入感の種類が違うのだ。私的感覚なので説明に値する言葉を見つけられない!!!


昨日の話に繋げるわけではないが、キャラへの感情がその理由ではないと思う。キャラが好きだからってすべての好きキャラに感情移入するわけではないからだ。自分自身を投影できる立場?年齢層?あるいは環境?一部が重なることはあれど全部ではない、些細な違いは違和感を生む。その差異は、おそらく感情移入するには十分に大きな弊害だろう。
現代社会に即していたとして、感情移入するとは限らないし。

うーん、感情移入しようとしなかろうと、没入できようとできなかろうと、読書を楽しめるならそれで問題ないんだけれども。


読書はあれよね。
頭を使っているようで実はそうでもない系。
考えるな、感じろ、ってやつ。

まあ、楽しめるのならなんだっていいのだけれど。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する