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短編脳 長編脳

 短編ばかり書いていた時期がありました。
 散歩したり風呂に入ったりしてると切れ端のようなアイデアがふわっと湧いて、そこから連想ゲームみたいに文章をつづっていくと作品になりました。
 その頃は毎日のようにぽんぽん短編が書けました。 

 最近は長編ばかり書いています。
 何か月もかけてキャラクターについて考えつづけ、長い物語をつむいでいきます。切れ味鋭いアイデアよりも、深い思索みたいなものが必要になってきます。途中で書けなくなったりしますが、休養したり釣りしたりして、気分を変え力を溜め、粘り強く書きつづけるとなんとか完結させることができます(『東京都放浪記』のように残念ですが未完に終わるものもあります)。

 短編ばかり書いていた時期は、短編は書けるけど長編は書けませんでした。
 いまは長編ばかり書いているので、なかなか短編が書けません。書かないのではなくて、書きたくても書けないんです(最新作『ガールズバンドクラッシュ』は枝葉を刈り込み、幹だけ書いて短編になりましたが、ネタは完全に長編です)。

 仮説ですが、短編脳と長編脳というものがあるのではないでしょうか。
 短編に特化した脳、長編に調整された脳。
 ふだんの執筆習慣がそのようなものをつくるのではないか?
 私の場合だけかもしれませんが……。

 釣り百合長編を制作中ですが、散歩しているとき、短編のアイデアが降ってこないかなあと思ったりします。降ってきません。

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