さて。
一月前くらいに発狂いたしまして、完全に虎になってお布団の上で唸る生活をしばらく送っておりました。こわいニュースがね、こわかったですよね。
それで二日くらい経ったころ、壁を移動する地蜘蛛を目で追いかけるくらい元気になりまして、そのあたりにお布団の上で過去の「本物川小説大賞」の講評を読んでおりました。
すごい。すごいんですよ。
講評!
その頃はまぁ、まだ虎だったので人間的感情はなく「コレハ、スゴイ、デス」くらいの感慨だったのですが、半分人間に戻ってからも多分全部読んで。すごいすごいすごーい! ってなりました。
まず何かを読んであれだけ言語化出来るのがすごい。言語化出来る人には「は?」って感じなのかもしれないけれど、すごいことです。丁寧というか、真摯、そう、真摯な講評で!
その人のレベルに合わせた指摘をしているんですよね。その人がどの程度の技術を持っていて、それで何をしようとしているのかっていうのを汲んで、こうじゃないかとかあじゃないかとか。元気になってもすごーい! 以外の感情はありませんでした。
やろうと思っても私には出来ないから。そういう能力を人のために使ってくれるというのがものすごくすごい。本当に真摯。
で、発狂する前から回りの方々が本物川小説大賞開催中だよーみたいなことを聞いていて、存在を知ってから私も講評もらいたいよーい! と思っていて、やるぞーと思った時に発狂したのでどうなるかと思いましたが参加できました。嬉しい。
こんなものを書きました。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890449319で、講評してもらいましたー! やったー!
http://kinky12x08.hatenablog.com/entry/2019/08/15/185109うれしい! とっても!
あと私の好きな人たちが大賞取ったり特別賞取ったりしていてすごくそれが嬉しかった。好きな物が評価されるというのは、自分が報われることでもある。
さて、えーっと、なんだったけ?
ちょっと今日、テレビで千と千尋の神隠しをやるので、その待機時間にこれを書いているので気がそぞろです。さっきお風呂を丹念に洗いました。
そうだ。講評がすごかったという話をしようと思ったのだった。
私はずっとエンタメが分からないし小説が分からないし、そもそも小説が書けてるかどうか分からないって何度も言ってるのでもう言うのやめますが、そのたびに「書けてるよー」って言ってくださってみなさんありがとうございますって感じなんですけれども。本当にありがとう!
で、今回の短編小説も、短編小説って何?って所が分からなくて、芥川とか色々引っ張りだして読んでみたけどそれで分かるなら苦労をしないので、結局分からないまま、分からない! という情熱のままに書きました。互いに理解していない女の子が好きなので女の子っていいね!という気持ち。
講評がね、すごいんだよ!
まず、ちゃんと読んでもらえていることに強い喜びを覚えました。向き合って読んでもらえて言葉をもらえるということの、なんていうか生きている根源的な喜び的なてきな?
あ、ちょっと千と千尋はじまっちゃうので見てきますね!
千と千尋見て満足して眠ってしまったので今は次の日の夜です。
えーっと。なんだったかしら。
そう。講評もらって、最後三つ選ぶのにも一人の方に選んでもらえてとっても嬉しかったです。瑞葉のそばにいてあげてるつもりだけど、実は依存しているっていうのはメモ書きにも書いてありました。この話で私が確固とした意思を持っていたのがそこなので、そこが伝わるっていうことが嬉しいし、すごい。すごくない? 私が書いたやつが人に読まれて人が同じようなことを思っている。すごーい。
講評もらってからずっと今後の対策と傾向を考えていて、めきめき背が伸びている感じがする。
前々から自分の書く物は何がだめなのかしらと考えていて、まぁ答えが出てないからこんなことになっているのだけれども、やはりストーリーが下手なんじゃないかと思っていて、今回やっぱりお話が良く分からないという講評を頂いて「自分の中で整合的な解釈はあるのでしょうか」という言葉に「わ!」となりました。
まず、ちょっと自信がなかったので辞書で「せいごう」と調べました。整合的な解釈、ない! びっくりした。すごい。ピンポイント!
きっといつもそうなんだな。良く分からないまま進んできて「良く分からないけど!」ってやることが割と多い気がする。そうかな。たぶん。わかんないけど。
(本物川さん?のブイチューバーみたいなのに今回とても救われた。可愛い)
というか、やっぱり理論立てて物事を理解できていないっていうの、とてつもないネックな気がする
今回は「互いを理解しない女の子たちが、意味不明の物体を拾ってもちゃもちゃする」っていうだけの話を書こうと思って書き始めて「二階で父親が死んでいる」というのは私の基本的な萌えの一つなので気が付いたら手癖で書いてて、途中で水母の骨という言葉を見つけて「水母の骨」で調べたら短歌が出てきて短歌は良いよね~と思ってそこで「瑞歯」っていう言葉を見つけたので主人公の名前を特に理由なく「瑞葉」に変えて、なんか「歯」を出したらお話が繋がるんじゃないかなと思って、じゃあ父親に歯が生えたら不思議っぽくていいんじゃないかなと思って、でも父親の歯をどうやって見るんだろう~? と思ってカメラとか使ったらそれっぽいかもしれない! でもカメラの写真どうやってみるんだろう、っていうか死体遺棄したら捕まっちゃうねえ、捕まるのはなんかつまらないから捕まらない方向で行きたいから、じゃあ意味不明の物体食べさせてたら歯が生えたし、お父さんは昨日死んだことにしよう、終わったー! って思った。
終わってなかった。
整合的な解釈っていう言葉、ものすごく心に響きました。ないなー。ないんだよなー。いつも、わかんないわかんないわかんなーいって書き進めて、なんか書き終わって「終わったかな?」ってなってるんだよなー。だから終わってるかどうかも自分で分からない。
どうしたらいいんだろう。やっぱり算数ドリルとかやった方がいいのかな。
エンタメが何か分かってないのがとても困るよね。どうやったら分かるのだろう。なんのためにシナリオの学校に行ったんだ? でもこれとこれをしたらエンタメになります、みたいな式のあるものじゃないからやっぱり難しいよね。
で、これが概念さんの講評についての振り返り。
三名講評してくださっていて、概念さんと酔っ払いさんと眼鏡さんがいたのですけれども。三名いることによりすごく視野が広がるというか、取捨選択が出来るのがすごい、画期的だと思う。わたしはこの件に関してはだいたい「すごい」という感情しか持ち合わせていない。
で、酔っ払いさんに、最後の総評のところで三つのうちの一つに選んでもらって、とてもよく刺さってくれた? なんて言えばおこがましくないのか分からないので、客観的な人間のように言いますけれど、刺さっている感じがしましたね。
今回のお話が、いつもより回りの人に刺さっているなという、おこがましいですけれども、感想を頂いた時に思ったんですね。よくいただく感想に「刺さる」とか「殴られる」とか「生肉を口に突っ込まれた」とか、言われるのですけれど、自分で言っててめちゃくちゃ恥ずかしいけれど、これは反省会なので、ちゃんと自分と見つめ合って頑張って冷静に振り返ってみようと思いますけれども。
で、自分ではまぁ、わかんない。わかんないよね!
刺してやるぞーとか、殴っちゃうぞー、とかは思ってないわけで。自分が素直に良いな~と思っているものを書いて、それが結果的に人を刺したり殴っちゃったりしているわけで、つまりまぁそれは私の体の中に虎がいるからだと思うのですが。
やっぱり、殴れる人殴って、刺せる人を刺していくしかないと思うんですよね。
いや、これからの改善の話。
たぶん、今回の講評でいうと、基本的には、酔っ払いさんを強く強く殴れるように、刺せるようにしていくのが一番だと思うんですね。で、それについては改善というよりは、鍛錬ですよね。これは人間をよくしていくしかないので。よく生きるしかない。
具体的には植物育てたりとか、虫眺めたりとかときどきは殺したりとか、発狂したり、治ったり、お菓子食べて美味しくてニコニコするとか、あとはやっぱり映画とか絵画とか、もちろん小説、を摂取するっていうのが基本路線ですよね。
で、改善っていう意味でいうと、たぶん眼鏡さんに刺さることはないじゃないですか。講評だけの判断だけど。精度を上げても刺さらないよねたぶん。好きな人は好きかも、というのがすごく優しくて的確な評価だな~と思った。すごい。みなさん本当に真摯。
どんなに精度の高いものでも、みんなに刺さるものはないわけで、だから絶対、自分の書いたものを好きだと思ってくれる人に向けて書くべきで、そこはぶれちゃいけないんだと思うんだけど。って当たり前のことを言いましたけれども。
なので、改善するべきなのはストーリーというか、分かりやすさだと思うの。あと、エンタメとはなんぞや、というのに自分なりの答えをだす……ぜんぜん、出せる気少しもしないけれど。
概念さんは文については心地がよかったと言ってくださっていたので、もう少しわかりやすさを手に入れられたら、もしかしたら刺せるかもしれない。このままの状態で刺せる人をどうにか増やしていくしかない。
ね、でもね、具体的にどうすればいいのかってなかなか分からないじゃん? あ、いや、具体的にたぶんあれだな、要素を増やさないってことだな。書く前にちゃんと決める、っていうのはやっぱ算数が出来ないのでなかなか難しいのだけれど。
今回でいうと、最初は単に「不明物体を拾っても理解しあわないまま関係が変わらない女の子の話」っていうのが軸であったのに、死体とか、くらげとか歯とか、あとカメラか、カメラが正直書いている途中でも「これいらなくねえか?」って思ってたので、そのあたり全部捨てた方が良かったかも知れない。関係性が変わらないってだけの話にしたほうがよかったな。
っていうことを、書く前に一人で気がつければいいのにね!
あー、誰か私に逐一講評くれないかなー! 適宜ルマンドとかくれてさ、休憩の時は「休憩しよ?」って言ってくれて、やるべき時には「そろそろやろ?」って監視してくれて、疲れた時にはもふもふさせてくれるなんかそういうのがいてくれたらなー!
すごくない? 一人反省会をこんなに長い文章で書いてしまって、私は今日次に書く予定の長編のプロットをすごい良い感じでまとめあげるんだぞ! という強い強い気持ちいがあったのに、もうお風呂に入って横になる時間だよ。悲しいね。
あ、近況としては『徳山大五郎を誰が殺したか?』を見ました。最高だった。最高になってしまった。めちゃくちゃ最高でした。
長くなったけれど、きっと誰かが読んでくれていると思う。ありがとう。もっともっとあなたを深く刺せるように、殴れるように、精進していきます。
じゃあおやすみー!!!