BAN事件について、BANされた作家さんとは対立していたと仰る方のエッセイで、作品を名指ししないで作者本人にしか分からない表現で批判をお互いに行っていたとの記述を見て、双方の作品を読んでいたので果たしてどの部分だったのか考えていました。そしてついに「ああ! あの話題の時か!」と気付きました。
いや気付きはしたけど無理です。片方の作品を読んで、理解して、覚えていて、更にもう片方でドンピシャの内容を批判していてやっと気付けるものでした。それくらい難しかった。
今考えてみれば、その回にもコメント欄に応援コメントをしていましたが、返答が肯定でも否定でもなくてなんとなくお茶を濁す内容でした。読者が見えないところで対立していたから、味方する意見でないと受け入れ難かったのかと今思えば納得でした。
と、気付いたからこそ思うのですが、このような作者本人しか分からない批判ではBANにはならないでしょう。何故ならあくまで主観の違いと説明されては、カクヨムが本当にそのユーザーを批判していると確定できないからです。
となるとやはりBANの原因として最も有り得るのは過去作に残っていた作品と作者が特定可能な表現で行っていた記述でしょう。確かに作品リニューアル後は直接的な暴言は避けていましたが、公開が続いていた過去作には残っていたのです。再出発するならば、過去の評論は全て削除するべきだった。削除してあれば違反通報の材料が消せていたと思うからです。
とここまで考えたところで結局は根拠のない私の主観でしかありませんのでもう考えるのは止めます。
最後に、読んで、理解して、覚えていてやっと分かる批判を私が分かったということは私の脳内に内容が残っていたということではないか? 残るって良いことなんじゃないかと私はふと思いました。