• 詩・童話・その他

言葉の作る世界

言葉とはいっても、どう取り用に言葉なのかは個人差があると思います。言葉とは言って、文字固めるところに言わ尽くしのこと今回は書かせていただきたいと思います。つまり発言することは体となり、それだから言葉は妙な力を持つと私は思っちゃったりします。それ複数の集まりであってのことでも、それじゃなくても一人だったとしての程でも何かを困惑させてしまわないか気になったりしないわけではありません。それだからではありませんが、言葉の前提におけるものが、世界の発端になっていくってことが思えるわけでありながら、それとでしても、それをもちろんの形で裏切る世界になっていくわけでもあると言えるでしょう。つまりはそう思うけれども、こう言っちゃった。とか、である。だから集団でいたとしても、個人でいたとしても、それは奏るポイントが違うだけで、道となるものには変わりはないように思えたりもします。作るって結局、副次工程の成り行きになるのかなー?って思えちゃって、それだけにモチベーションに関わってくることなんだろうなーっても思えて。それだけに上がり下がりするものを包括できるものであり、とりわけ苛まれるわけではないような、あるような。それも言葉や気持ちの運び方ってなんでしょうか?世界があったとして、世界ができたとして、、それが一体なんなんだ?!私の場合は、そこに自分を見るわけです。意しもの、写し物、って感じじゃないでしょうか?

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