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文字を立たせることについて

タイトルの文字どおり、文字を立たせることについて少し書きたいと思います。最初には、思ったのは、文字を起こすって行った表現をしようと思ったのですが、別に一進の段階では何的にもものを覚ますっていったことにはなり留まらないと思えたからです。だから、ここからまず言えることとすれば、こういった第三者を介しての行為というものは立たせるっていったことに非常に優れているように思えるわけです。立たせるイコール選りすぐりってわけでも式が段取れそうに思えてくるのは私だけでしょうか?ないものから出て、それにふれあいの場があって、それでトランスフォームされていく。あるものから出て、無化していく様にふれあいの場があって、それで身ぐるみ剥がされる(前向きに考えてのです、いやらしい意味ではありません)。第三者が選びすぐりのものを立たせるように、やはり人間(媒体)からの何もないところからの喩えものっていったらいいんでしょうか?それが第三者が思わぬ拍子に文字化してしまう、されていっていく、、それが一体なんなのか?それは想いを文字化している?っていったらいいのか、、それとも何だろうか?体に収まりきらなくなったものを排出しているのか?新陳代謝のようなものだろうか?ってことは生理的でもあってってことが言えてくるのかもしれない。次回は、見える文字と見えない文字について書きたいと思います。

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