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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 読了……だけど

「小説は、現代の社会人においてノイズである」

うおおおおおお。それを言うなぁぁぁぁ!!!!

『映画を早送りで観る人たち』(稲田豊史著)を読んだ時も、ガクっとしたものだけど、こうはっきり書かれると、ズーンって心を暗くする。

読書は、確かに自分でページをめくり、文字を追いかけ、頭の中で情景や情報を整理しつつ、何が起こっているのかを語り手の視点から追体験するもの。

確かに映像に比べれば面倒。漫画に比べても。

そう考えると、ネットで「情報」を文字で得ている人にとって、地の文と人物の台詞だけで構成された小説は構造そのものが不利で「で、結論はなんだよ?」になるのかもなぁ。

ちなみに、皆さんの作品はどうか分かりませんが、ボクの完結した小説、やたらと最後のページだけがPVが伸びるんですよねぇ。そこに結論が書かれていると思っているんでしょうかね。

乱暴に内容をまとめると、「死ぬほど忙しく働く現代社会において小説を読むことは時間の無駄遣い(ノイズ)に感じ、情報を手に入れたい人にとっては、小説は読まれない」ということらしく、「心を病むほど働くか」という労働環境に対する問いと提言。

それは本の冒頭にも言及された『花束みたいな恋をした』にインスパイアを受けただろう考察であり、「働けど働けどなお我が暮らし…」の啄木への追慕にも見えます。

明治から始まる、労働と読書の関係(というより、本の中に現れる労働)を紐解き、大正、昭和の文学と労働者、それぞれの時代の文学が何故読まれ、そして何故読まれなくなったのかについてを考察していくわけですが……

そして最近までの「一人称が受ける時代」と「読書離れ」、パズドラはできても読書はできない今の人たちについて、その原因を探る内容です。

そういえば、カクヨムでも、やたらと「小説はこう書け」系が読まれるのはノイズのない純粋な情報だからなんでしょうねぇ。

でも、何かモヤっとするなぁ。

そもそも検索して答え(オチ)を知りたい人は「読者」なのか?
没頭して「面白かった」と、その読書体験を一生の宝物にしちゃう人が「読者」な気がするんだよねぇ……。

その没頭へ誘うきっかけや体験を掴めばいいんだと思うけど……。

ちなみに、個人的には児童文学が売れているのは、単に学校で読まされているからだろうと思う。読書の時間が終わると、続きが気になるって子供は少ない。進学校を選ぶ子供は、「文学作品」を選ぶが、それは単に受験に有利だから。彼らが没頭した経験を宝物に感じているとは思えない。もちろん、その中でも、少しでも面白いものを選ぶ傾向にはあると思うけど。

三人に二人が読書をしていない時代に、小説はどこへ行くのやら…

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ふと思いつきましたが、ここまで割と何冊か読んできたので、そろそろ読了本をまとめた作品を作ろうかなと。
読書情報が欲しい人向けにw
(結局それかい!)
需要あるかなー?

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