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慰労金もらったらしい!

兵糧に余裕ができて、粟粥から米粥に。

兵糧が手に入らなかったらあと十日くらいで、尽きてたのかな。
そりゃ必死になるな。
これで5月下旬頃まで余裕ができたらしい。

で、翌日、慰労金をもらったぽい。
途中で途切れるけど、ん〜?
なんかしたのかな?
守備倍厳しい的なことを。

5件のコメント

  • あ、そうそう。
    なんか、これ、結局しかるところに出すらしい。
    熊本城で何をしてたのか、気になるらしく。
    探偵ナイトスクープ行きかな?(笑)

    超時空伝説研究所さんの予想が当たっているかも、確認してもらいますね〜!
  • やばい
    おもろすぎる!
  • 執筆&文献解読お疲れ様です。

    (ネガティブ考察ばかりして恐縮です。あくまで個人の感想ですので、ご容赦を。🙇)

    ・彌三郎氏は輜重部隊所属なのかしら? そうでないと兵糧の消費予測情報など軍隊内部でも知らされているわけがないと思われ。

    ・米を入手したからってすぐに粟飯を止めるかしら? 何日籠城するか予定は立たないのだから、今まで通り節約レシピでできるだけ長く持つように粟入り粥を続けるのではないかと。

    ・籠城中、戦闘直後に慰労金支給? しかも、一人一人に支給文を配った? 誰がそれだけの枚数、文書を書いたのだろう? もらったとしたら、その文とやらをこのページに挟むのではなかろうか?

    などと考えると、熊本城攻防戦の記録を読んだ人が「後日」あたかも参戦していたかのように書き綴った「疑似戦記」ではなかろうかと思う次第です。

    (前回の描写でも、城外に敵方死者が倒れている姿をあたかも自分の目で見たように書いている。でも、自分が戦闘参加していればその状況を書かないはずがない。「敵を何名倒した」とか、「こうやって逃げた」とか。ちょっと客観的すぎるかなあ)
  • 僕も輜重部隊に近い存在だったのかなぁと思っています。もしかしたら、人数を把握しなくてはいけない役割だったのかもしれません。
    それか配給量は城内の兵全体に告知する仕組みだったのかなぁと。

    あ。ちなみに籠城戦での戦中褒章は割と常識ですね。なので、そこはスルーで良いかと思います。
    米粥に戻した理由も、同じですね。

    あと、後日で『伝聞なりきり籠城戦日記』の線はどうですかねぇ?
    4月から書かれた日記というのも引っ掛かっていて、皆が一番知りたいのは2月の戦いですからね。

    4月は籠城戦の終盤も終盤で、なんでこんな終わり掛けを書いてんだろと。表紙が4月で始まっているというのも、謎なんです。

    最後のカッコ内は、僕も思ってまして、この人、戦いに参加していないのに、状況をやたらと把握しているんですよねぇ。

    輜重役なら、兵隊からいろいろ聞かされているのかもしれないですが、それでも籠城戦全体まで把握している様子もあって、どういう立場の人なのか、イマイチ分からないですね……。
  • あ、UDさん、来てるの見落としてた!
    ごめんなさい!!

    はい。
    激アツの日記でした(笑)
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