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なんか、敵の背後を突くらしい

4月7日のつづき。

因みに前回まで旧暦と新暦がおかしかったですね!
失礼しました!!

熊本籠城戦は2月です。
この2月がもしも旧暦のことなら新暦4月のことで、西南戦争初期の話。それなら辻褄が合います。

でも新暦の2月なら、この4月の日記はなんだろ?
西南戦争の終わりがけ?

かなり散逸している感はあるのですが…

そして何故か4月7日の記述が2回続きます。
頼りにならん!

いい加減な性格だな(笑)。彌三郎よ!


朝方に南から砲声が聞こえて、これは官軍の軍艦だぞ! 導いて、情報伝えよう! 的な会議があって、一大隊(500人くらいかな?)を突撃させる予定。

…でも、西南戦争に軍艦が来るのは、随分あとの話。
やっぱり熊本籠城戦、最後の話なんかな?

確かに、4月8日に「征討軍との連絡を開こうとして」城内から出撃とある(Wiki 西南戦争より)。
これか?

3件のコメント

  • 執筆&解読お疲れ様です。

    このページだけでは「砲声」が聞こえただけで、軍艦からの発砲かどうかは定かでないようですね。

    敵中を特攻して突き抜け(いるかいないかわからない)軍艦ないし官軍に情報を告げて、熊本城に連れて来ようという作戦?

    ①そもそも(当時の)艦砲射撃で届くほど、熊本城って海に近いんでしたっけ?

    ②別に導かなくても、熊本城の場所なんて明明白白なんじゃなかろうか?(そもそも砲撃しているわけだし)

    ③籠城しているのに、「賊背を突き」はおかしくない?

    という疑問が湧いてきます。この日記、信用できるのでしょうか?
    (すみません。🙇💦)
  • グーグルマップで見てみました。ざっとした換算ですが、海岸線から最短でも8キロはありそうですね。

    途中に山があって、目視は不可能かと。

    平地(?)方面を探すと、途中に高橋稲荷神社(15世紀創建)があり、日本五大稲荷だとか。神様越しに砲撃するとは思えません……。

    艦砲射撃はないでしょう。当時の籠城軍もそれはわかるのではなかろうかと……。💧
  • んー。
    前頁の最後から察するに「南側からの砲声」ということで、軍艦って思ったような感じなんですかね?

    西南戦争の記録を見ると、確かにこの日記の7日に熊本城の南にある「宇土」という場所で戦闘があって、そこで官軍が「宇土半島に上陸」ってWikiでは表現してますが、軍艦とは書いてないですね;
    更に南の八代でも7日に戦闘が起こっています。

    どちらも城からの目視は無理そうです。

    多分、wikiの西南戦争「松橋の戦い」と「鎮台兵の出撃」あたりの話かなぁと。西南戦争の最終局面に近い日付なら…。自信ないです;

    官軍の熊本城救援ルートがよくわからないですが、なんか、ぐるっと城の南側を回っている様子……。

    籠城側が背後を衝くということは、薩軍が背を向けているという前提なんですよねぇ。何故か。そこまで官軍が迫ってきているということなのか。城側からは全く状況が分からない様にも見えますね。
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