自分は伝わらない、と思うことを重ねてきたけれど
伝わらない、のではなくて、伝えても、受け取り側の感度が
育っていないと、その場で受け取れることは少ないのかも、と思った。
頭の中がごちゃごちゃしてうまく伝えられない。
うまく言葉が出ない。拙い言葉は意味がわからない、と言われる。だから出すことも諦めていく。
伝わる、には時間がかかるときもあるし、相手に余裕がなきゃできないのかもしれない。
親のことを分析してきたけれど、親からの思考や感情に囚われて生きていたのだから、私自身もクズ女で、クズ女だからクズ男を愛することに一生懸命頑張ってきたのかもしれない。
クズ男に縋りつき、愛を乞うていたのかもしれないな。
愛することは一緒に泥舟に乗ることではないんだ、と
感じた。
一緒に苦しみを感じることじゃない。
一緒に我慢しなきゃいけないわけじゃない。
一緒に耐えなきゃいけないわけじゃない。
線を引くこと、とても大事だ。
そして、自分のクズさを自覚するから
クズさを持つ人たちにも優しくなれるのかもしれない。
優しい目で、見られるかもしれない。
でもそれはちゃんとぶつけるべき人たちに自分の怒りをぶつけたり喧嘩したから、なんだろうな……。
しんどかったけど、キツかったけど、
そんな体験を超えて、優しくなれてよかったと思う。