ああ、私んちって、家庭内暴力だったのか…
そう感じた。
家庭内暴力ってことすら私は受け容れられてなかったらしい。こんなに言ってるのに、調べてるし。
家族の中にいて、嫌だ、苦しい、つらい、やめてほしい。
そうやって言ってるのになかなか改善されず繰り返される。
わかってもらえない。
だから、苦しいと感じる自分も、
悲しいと感じる自分も、嫌だやめて、と言えない自分も
全部、諦めて、受け入れていた。諦めの目、無の境地…。
それは、人間不信の自分だったのかもしれない。
思い通りに都合良く動くしかない、操らせるしかない、と。
私がどんなに伝えても、伝わらない。
私の言葉は、伝わらないものなのか、と口を閉ざした。
自分は、透明人間なのか、とおもった。
人の目には見えないものなんだろうか、と。
私は、親を変えたかったんだ、と気づく。
そして、親は、親の精一杯を、受け入れて欲しかったこと
認めてほしかったことに、気づく。
親に自分が、あれはどうなった?これは?あれした?これした?と確認と催促をされると私はすべてを完璧に完全にしないといけない、認めてもらえない…、と感じていた。
そして、足らないところには嫌味も言われていたから余計…。
褒められても、褒められてる感じがしなかったことに気づく。
失敗したらキツく言われるし、だから言えない。言えないんだ。何も言えなくなる。たすけて、も、こわい、も、つらいも、やめて、も…。
どこかツンケンした態度と八つ当たりされるのが当たり前で
自分のことを大事にされているのかわからない。
自分が大事な存在じゃなくて都合のいい存在のように感じる
私、自分の中にいていい。
自分の中にいて自分を愛して自分で癒やしていい。
強い自分は、本当に強いのだろうか?と思う。
本音は、無理して頑張って頑張って、強くなんてなりたくはなかったんだよ。そうならざるを得なかった…。
自分のこと、殺してでも
無理してがんばりたくなかった。
頑張って耐えたくなかった。
本当はしくしく、泣きたかった自分のことを、見つけた。
弱いですよね、と言われて、
見下したような視線と声音に感じた。
ほんの一瞬、邪悪なものを感じた。
人の弱さを嘲笑うものに、果たして強さがあるのか?と。
弱いから、弱い人の気持ちがわかる。
きっと昔の私はある意味強くて人に対して鈍感で強い口調だった。鈍感でいると、きにしないでいられるものだ。
だから、多分身体の使い方をわからなくなるように思った。
身体を気にせずに酷使してしまうから自分がボロボロになってもあんまり気づかない。気力でなんとかする。
自分の未熟さ、至らなさ、完璧に完全にできなくてもいい。
相手の求めるクオリティまで頑張って頑張ってやれなくても、いいんだ。
頑張って、と言われると無理して頑張ってしまう。
わたしにとってのがんばるは、呪いなのだろうか。呪縛?
…頑張って頑張って愛してもらおうとしていた。
私のままじゃ、愛されない。私じゃ、だめなんだ、と。
強く強く、思ったから。
頑張らなくても、気を張り詰めなくても、もっと楽になってもいいんだろうか。