今週の公開内容
スチーム×マギカ「言葉にしてくれないとわからない」
小説家の朝は遅い。
夜の方が捗ると堂々と告げ、蒸気灯を無駄使いすることを善と断じる。
朝焼けが訪れる前に毛布の上に倒れ込み、時計の音も聞こえない深淵へ落ちていく。
思考が働けばネタの追求とプロットの見直し。
指先が動けばタイプライターで一文字でも多く打ち込み、目が乾くほど他人の小説を読み漁る。
幸せかと問われれば、
「こんなのは苦行だ。実り少なき果樹のようだ」
微睡みながらも答えるバロックは、それでもと続ける。
「誰かの手に触れ、味わい、称賛されたならば。まるで常世の春が訪れたような心地に襲われる」
指で万年筆を転がし、積み上げた本を座椅子代わりに。
膝の上に散らばった真っ白な原稿用紙を摘み上げて、小説家は笑う。
「快感だ」
全てを出し切った後の爽快さを、艶やかに表現する。
体が空っぽになって、熱を持った空洞を風が通り過ぎていく。
息だけが耳に響き、頭の中は光で埋め尽くされた感覚。
「十万文字が一冊の本に凝縮され、幾千の人間が読む。それを想像するだけでわくわくするだろう?」
長い手足を床に投げ出し、倒れた椅子の背もたれを爪先で遊ぶ。
締め切りは明日。進捗割合は三割。構成は完成されているが、文字で伝える作業が残されている。
体ごと原稿用紙を投げ出して、一通り転がって呻いた。その惨状を車椅子の探偵が眺めていた。
「それで今回の拗ねてる原因は読者の感想なん?」
「絶版の処女作をさっさと増刷しろとさ!! 出版社と編集者に言え!」
世に送り出したデビュー作は彼女にとって傑作――というわけではない。
ただ好き勝手に要素を詰め込み、がむしゃらに書き殴り、適当な出版社に投げ渡したような代物だ。
そのせいで担当編集者が原稿を握って離さず、作品の権利を作者以上に出版社が独占している状態である。
「あれ以上の名作が書けないなんて衰えましただぁ!? それは貴様の価値観だ! 吾輩に押し付けんじゃねぇ!」
手に持っていた万年筆を壁に向かって飛ばす。
尖ったペン先が壁紙に突き刺さり、一筋の墨が壁を伝う。まるで壁の中に人がいるような光景だ。
「貴様の思い通りになるかってんだ、バーカ! 悔しかったら書いてみろ!」
「荒れとるなぁ。僕は今回の新作楽しみやけど。前作の続編で、孤独な少年と老婆が次はどんな冒険するのかドキドキするわぁ」
「……」
「めっちゃ好きやねん。頑張ってほしいなぁ」
朗らかに褒めてくるカナンに背を向け、椅子を元の位置へ。
机の上に置かれたタイプライターが激しく動き出す。締め切りを五日間突き破ったものの、総文字数は十二万文字。
新作『グランマ』は、適度な売り上げを記録した。