https://kakuyomu.jp/my/works/16817139556525591986/episodes/16817139557656651065こんにちは。
「追憶の、ヨルワタリ」第24話「光一の日記(3)」です。
このエピソードで第二章は終了となります。次回より第三章です。
唐突ではありますが……物書きである以上、皆さんはキャラクターの魅力を引き出すために四苦八苦しているかと思います。
性格、生まれ育ち、言動などに気を使っている方もいらっしゃると思います。
自分は前に、こういうことを言われました。
「お前に魅力がないから、キャラクターにも魅力がない」と。
今でも覚えているぐらいだから、相当こたえたんでしょう。自分自身に人を惹きつける魅力なんて皆無なのは承知していたけれど、それがキャラクターにも反映されているんだとしたら。
確かに、自分の考えや願望を反映したキャラクターはいます。「本当なら自分自身が言いたかったこと、そうしたかったこと」をキャラクターにやらせていることは否めません。
お世辞にもポジティブな性格とはいえない自分は、どうも作中のキャラクターに陰を持たせてしまう傾向にあるようです。誰かのマンガ・小説を読んでいる時も、「こんな無駄に明るいキャラクターがいるわけない」って思ってしまうタチなのです。
だからなのでしょうか。
もちろん、反論はあるかと思います。型破りなキャラクターを生み出した人の性格が、そのまま型破りというわけでもないでしょうし。
作者の魅力がそのまま作品にも反映される、という点に関して明確な根拠があるかというと……正直なところ、半信半疑ではあります。
ただ、作者自身が培ってきた知識や経験や感情の揺らぎが反映された作品というものは、やはり内容的に充実した、読んだ人の心を豊かにする作品になるのではないかと思います。
自分は一応、それなりには経験を積んできた……という自負がありました。でも、それは他の人も同じなんですよね。当たり前ですが。
自分の培った知識や経験を「ただ」作品に反映していても、それはありのままを書く日記と変わらないのでは……? と。
つまり、工夫がない。ひねりが足りない。
そこまではわかっているんですが、実際に書くとなるとまた別ですね。
「作者に魅力がないから、キャラクターにも魅力がない」
上の一文、皆さんはどう思いますか?
参考までに聞かせて頂ければ嬉しいです。