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「わたし」を描いてはダメ

今日は、久しぶりに推敲らしい推敲をしました。
最初に書き上げたものは、情けないほどに登場人物を理解しておらず、もし彼ら彼女らが実在していたなら叱られていますね。
こういった場面では、以前見た長編アニメーション映画制作ドキュメンタリーでの「ダメ出し」が思い浮かびます。

・ツラいときにツラい表情を描く
・危険が迫ったときに怯む

これらは、作画を担当した「個人」の投影であって、登場人物の行動ではないから「ダメ」を出されるのです。とても頷けるダメ出しです。
舞台も登場人物も、あらゆる設定を自身でしているのなら、「わたし」を出してはならず、「彼ら彼女ら」の理解を深めなければなりません。
本当に難しいな、と感じました。今日の推敲に手応えはあるものの、一晩寝かせたらどんな「ダメ」が出てくるのか、期待と不安が半々です。

6件のコメント


  •  逆に登場人物になったつもりでの投影は問題ないかなぁ~……なんて思います。私はチョイチョイそれをやりますよ~。

     その状況に置かれた時、普通はどう考えるか、自分ならどうか、等はリアリティに繋がりますので。
  • 近況ノートへのお邪魔、失礼いたします。

    たぶん、プロの作家さんのブログだったと思いますけど、一人称の小説は素人にも書きやすいようで、90%失敗している、ってことが書かれているのを以前読みました。
    その理由が物語の主人公が自分になってしまうから、だそうです。
    一人称は『僕』『私』で書くので、自分が出てしまうんでしょうね。
    物語の中に作家が出てくると、読み手は急激にさめてしまうのだとか。
    それ、なんとなくわかるんですよね。集中して物語を読んでいても、作家の匂いを感じると、いっきに現実世界に引き戻されます。
    自分が出ないように気をつけないといけませんね。
  • 赤村さん

    おはようございます。
    近況ノートへのメッセージを、ありがとうございます。

    おっしゃるとおり、登場人物になったつもりでの投影ならば、よいと思います。なり切りたいのですが、これが難しいですね…。赤村さんへの返信を考えている途中で、やはりと言いましょうか「ダメ」が出ました。
    そこそこ書き直さないといけません。
    ^^;

    ですが、確実に“わたしの物語”へ近づいたように感じています。
    (*´︶`*)♡
  • 烏目さん

    おはようございます。
    近況ノートへのメッセージを、ありがとうございます。

    90%失敗とは、かなりの確率ですね…。ですが、理由にはとても頷けました。
    わたしも烏目さんと同じように、登場人物でなく作家さんが出ている、と感じると、さめてしまいます。訴えたい気持ちの強さはよくわかるのですが、「物語」をとおしてほしかったな、と。

    自分が出ないように、は、本当に気をつけないといけませんね。
    そう簡単にはいきませんが。
    ^^;
  • このはりと様、こんばんは。コメント失礼します。

    ぎくりとしました。
    一人称は演者の視点ですものね。舞台監督である「わたし」がどこかに映り込んでいてはいけない。出来上がった物語に監督の『私情』が挟まれていないかをつぶさに、何度も観察する必要がありますね。

    このはりとさんのエッセイ等で執筆の過程を断片的に拝見していますが、こうありたい物語への追求が徹底しているなと感じています。その丁寧さに常々感心させられっぱなしです。

    わたしも一人の書き手として気をつけようと思います。
  • ユキさん

    おはようございます。
    近況ノートへのメッセージをありがとうございます。

    読み直してみると、だいぶ言葉が足りないことに気づきました。ですが、ユキさんにきちんと伝わったようで安心しました。
    演者の誕生は、憧れの誰かや自身の内面がもとになると思いますが、「わたし」とは異なる、生きた人物であるはずですよね。いま書きかけの物語で、叱るシーンの描きかたがあまりにも“借り物”にすぎ、リテイクをかけた反省から本文章を書き残しました。

    ユキさんにとって、よい『刺激』になったようでうれしいです。
    (*´︶`*)♡
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