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賞に沢山落ちてきた経験があるので、自分の創作に自信が持てない。

 最近時間の使い方がわからなくなっています。

 実は、夏あたりから心身の具合が悪く、会社を休職することになってしまいました。休職しているのだから時間を有効に使わなければいけないと自分に言い聞かせるのですが、思うようにいかない今の自分の体について責めるようになってしまいました。

 同僚が皆会社で懸命に働いているのに、自分だけが休んでいる。その感覚辛く、どんどんダメな方向へ考えてしまいます。

 執筆していた小説も途中までしか書いておらず、こちらも書かなくてはということと、クリップスタジオの使い方に慣れて漫画も描かなきゃいけないのに、一体自分は何でこんなに臥せってしまっているんだろうと考えて落ち込んでいます。

 今現在執筆途中の小説「人魚のブリュンヒルデの歌」は来年の集英社のノベル大賞に応募してみようかと考えており、構成やプロットの作り方を勉強しなくてはという感じになっているのですが、何故か一向に進まず……。

(あと応募してみたい賞は他にも角川キャラクター文庫、メフィスト賞等色々あります)

 ある同人作家の方で、本当に面白い話ばかり執筆されている方にお話を伺ったのですが、作家にはプロットを最初に決めて話を作るプロッターと、プロットを作らないでそのまま書き進めて話がどう転ぶかを楽しむパンツァーというタイプがいることを教えてくれました。

 自分は今までパンツァータイプで、プロットを作らないで、頭の中の映像をそのままずっと追って書いていくというスタイルを取っていました。もしかしたらそっちの方が向いているのかもしれないです。プロットと構成の事を考えすぎてしまって、一向に先へ執筆できなくなってしまった感があります。

 あと文章を書くのってやっぱ楽しいなと思いました。一方的にしゃべるのがすごく苦手でこの前質問されたから話過ぎてしまったのですが、本当にまとまらずに恥ずかしい気持ちになって後悔してしまいました。

 文章だと凄く整理して考えられる気持ちになるので、すっきりしますし、自分が本当に言いたいことが言えているような気持になります。

 絵を描くのも好きなんですが、自分の技術が自分の頭の中と合致していないので、どちらかというと文章を書く方が合っているのかなと思うようになっています。

 長編で書きたい話が今3つあって、一つは先にお話しした人魚のブリュンヒルデの歌という西洋ファンタジーです。

 もう一つは「影虎の血刀」という昔の日本を舞台にした歴史ファンタジー。これも長年構想(空想)ばっかしているので、何で形に出来ないんだろうと歯がゆい感じになっています。多分書き始めれば一気に書けるだろうに、何故か手が不安がっているように思います。やっぱり自分はパンツァータイプで執筆していった方がいいのかな。プロット書かないほうがいいのかな。

 そして同人作家さま曰く、読者がどう思うかとか一切考えなくていいということを教えてくださりました。読む人は読むし、読まない人は読まないからだそうです。全部自分の為に書く。ということを教えてくださいました。そうか全部自分の為に書けばいいのか。ありがたいお言葉でした。

 確かに文章を誰かの為に書こうと思うとしんどい気持ちにはなってきますし、これで生活していこうと重く考えすぎてしまって、何で出来ないんだろうと落ち込んでしまうことはよくあります。

 私は今まで賞に何度も落ちてきた経験があるので、自分の作品に一切自信がなく、褒めてくださる方がいらっしゃっても本当に面白いのかなと不安になってしまい、不安な気持ちを抱えたまま自分の事を責めるというようなことを繰り返しています。

 そういうこと気にせず、自分が楽しいと思って創作できれば嬉しいのですが、純粋にそういった感情で創作することが何故か出来なくなっていて、何で自分はこんなにダメなんだろうと落ち込んでしまいます……。

 自分を通して生まれたキャラクター達のことは大好きですし、生きている人達だと思っているのですが、こんな私に果たして書けるのだろうか、ちゃんと書いてあげられるのだろうか、と不安は消えずに残り続けていきます。

 自分が本を読むのは、誰の為でもなく全部自分の為ですし、自分のアウトプットも同じような気持ちで楽しめればいいのかなと思います。

 脚本の先生に漫画や小説を読んで頂いたら、「普通にどちらも書ける人だと思うよ~。必要な技術さえ身に付ければ」と仰っていただけました。

 他の人にそういって頂けるならもっと自信もってやればいいのかなと思うのですが、自信を持てない自分がいて、辛くなります。

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