• 現代ドラマ

インスタ断食

最近、「インスタ断食」なるものをしている。インスタ断食なんて書くと大袈裟に聞こえるが、単にインスタを見ないというだけのことである。
初めて1週間ほど経つが、5分おきにインスタを見続けていた時よりも精神衛生が良い気がする。

ここ数年でSNSが一気に普及し、他人の生活を簡単に覗き見できるようになった。
それは良くも悪くも。
インスタを開いた瞬間、著名な有名人から親しい友達まで、老若男女古今東西様々な人々の生活の断片が更新される。
容姿が端麗でスタイルも良く、若者から大人気のインフルエンサーが大歓声を浴びながらランウェイを歩く。ネットで調べてみると、その人は自分より歳下だった。嫌になる。
芸能人と比べるのは良くないと、一般人である友達のインスタを覗く。
中学の同級生だったそいつは海外留学をして、楽しそうに毎日を送る姿が更新されていた。輝きすぎて見るに耐えない。
横にスワイプすると、今度は彼女と楽しそうにディズニーランドに行っている男友達の投稿。その横は、友達と沖縄旅行。その横は、汗水垂らして一生懸命に励んだ後輩の部活動の記録。
仕事もせずに昼過ぎに起きてスマホを弄り、適当な時間にご飯を食べて昼寝をして夜中に眠る僕のような生活は、インスタのどこを探してもなかった。



SNS、特にインスタは生活の綺麗な部分、楽しい部分、幸せな部分が沢山載っている。だからこそ相対的に自分が、自分の生活が、自分の人生がつまらなく見える。
見れば見るほど誰かの生活が羨ましくなって、自分の生活がクソみたいに思えてきて。
同世代で活躍する芸能人やアーティストに、一丁前に嫉妬なんかしたりして。
自分の世界を広げるためのSNSが、いつのまにか自分の世界を息苦しくしていることに気付き、とりあえずインスタを見るのを辞めることにした。


昨日、中学の友人と居酒屋で飲んだ。
中学の懐かしい友人のエピソード、仕事の愚痴、彼女への不満、中学時代の後悔、下ネタ。
インスタに載せてもいいねが一件もつかないような、全く映えないような話ばかりだったが、それが楽しかった。
なんだ。こいつらもインスタ映えするような生活なんて送ってないじゃないかと勝手に仲間意識が芽生え、そいつらのインスタを久しぶりに開くとそいつらのどの投稿もしっかりインスタ映えしていた。自分と比較するために自分のアカウントを開くと、自分も案外インスタ映えしている。ちゃっかりいいねまで貰っている。

そこで気づいた。
SNSは映える生活を載せるのではない。
生活の映える部分「しか」載せていないのだ。
誰にだって、僕にだって友人にだって今を輝くあの芸能人にだって、クソみたいなことや嫌なことはある。むしろ、生活の中でそれらが大半を占めていると言っても過言ではないだろう。
だからこそ、インスタに載せたくなるような綺麗な景色に、素敵な瞬間に出会った時に急いでインスタを開き、その断片を投稿するのだ。
いいねが沢山ついたその映える自分の投稿を見て、自分の人生を、生活を少しだけ肯定するのだ。
本当に毎日心から楽しくて、幸せで綺麗で映える生活を送っていたら、わざわざインスタなんかしない。楽しい度に投稿していたらキリがない。

インスタをやっていない人、やっているけど投稿をしない人の生活が気になるけど、むしろそういった人の方がよっぽど映える生活をしているのかもしれない。
インスタの投稿が多く、煌びやかに幸せに見える人ほど本当は寂しく、地味な生活を送っているのかもしれない。
自分のインスタを改めて見返すと、投稿数は50だった。少なくはないと思う。
50個投稿できるほど幸せな日々を送っています!ではなく、インスタを始めてからの数年間に50しか映える出来事がなかったと自ら証明しているようで、なんか悲しくなった。


誰かの生活が羨ましくなる人。自分の生活なんてひどいものだと思い込んでいる人。
一旦インスタを見るのをやめて、心から信頼できる友人とお酒を飲みに行きなさい。
彼女の投稿ばかりしている幸せそうなその男は、案外彼女に不満を持っているらしいぞ。
楽しそうに沖縄旅行に行ってたそいつは、親に旅費を借りてまだそのお金を返せていないらしいぞ。


綺麗でもない、映えもしない取るに足りない暮らしの中で自分で自分にいいねをしながらどうにかやり過ごし、インスタに投稿したくなるような素敵な瞬間を今日も僕らは探している。

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