• 現代ドラマ

不幸な人が好き

仕事を辞めて無職になってからはや3ヶ月。転職活動を細々と続けながら過ごし、遂に最終面接までこぎつけた。
webライターの会社。取り扱っているコンテンツや内容が「占い」や「お悩み相談」なので自分が書きたい内容かと聞かれればそんなことはない。とはいえ、やはり書くことが好きだし、就職活動の時からライターには興味があったので嬉しい。どうにか受かりたい。

昨日友人数人と温泉に行き、そこで「お前そういえば転職活動どうなってんの?」と冷やかし気味に言われたので、ドヤ顔で「ついに最終面接まで行きましたよ。」と答えた。すると友人は「なんの会社?」と尋ねてきたので「ウェブライターの会社」と答えると「ふうん。」と案外食いついてこなかった。
そこで僕は自分から「でも取り扱う内容が占いとかなんだよね。」と何の気なしに付け足すと、友人たちの目の色が変わった。弱そうな獲物を見つけた時の野生動物みたいな目。
「占い?胡散臭すぎるだろ。」「占いの記事とか誰が見るんだよ。」と友人たちから一気に冷笑と軽蔑の集中砲火を喰らった。
僕も負けじと「未経験で入れるライターの会社なんてそうそうないからね。多少は自分が興味無い分野でもしょうがないかなって。」と弁明するも、彼らの前では意味をなさない。
「いやそれでも自分が書きたくない記事書くなんて地獄だろ。」「そんな胡散臭いとこで俺働きたくないわ。」とカウンターを喰らう。ちなみにその友人は大学生とフリーターだ。何も知らない癖に、僕が入るかもしれない会社の悪口を言っている時の彼らの嬉々とした表情は、実にいやらしく醜いものだった。
うるせーよ、お前らには関係ないだろ。と言いたかったが、それもバカらしくなって僕はただ薄ら笑いを浮かべていた。


どうして、そんなに他人の人生にとやかく言うのだろうと温泉から帰った後に1人で憤った。誰かに干渉しないと気が済まない人間は、この世に一定数いる。きっと自分に自信がないのだと思う。友人は僕がライターをやりたがってた事を知っている。僕がやりたいことに近付いたことが許せなかったのだろう。そんな中「占いのコンテンツを扱っている」という批判できるポイントを見つけられたのが嬉しくてたまらなかったのだろう。



無職になったら「仕事しないなんて終わってる」と揶揄され、自分のやりたい職業に近づくと「胡散臭い」と馬鹿にされる。新卒で入社したブラック企業でもがいてた時が一番周りからの風当たりが優しかった気がする。
結局、みんな不幸そうな人間を見るのが好きなのだ。
楽しそうな人、楽をしてる人、やりたいことをやってる人、幸せそうな人を見るのが嫌いなのだ。
楽しそうな人間がいれば、どうにかそいつの重箱の隅をつつこうとする。
やりたいことに近付く人を見つければ、どうにか批判できるポイントがないかとウロウロする。
「そんなに周りは自分のことなんて見てないよ。」なんてことがよく言われるが、そんなこともないと思う。
案外、みんな人のことを見ている
みんな、自分の足元を固めるために、自分を正当化するために誰かの揚げ足を探すことに必死だ。
それがわかったからといって何が出来るという訳ではないが、せめて自分は「批判する側の人間」にはなりたくないなと思う。
やりたいことがある人は全力で応援してあげたい。どうせ何をやっても何か言われるのだから、できる限り好きなようにやっていきたい。

温泉でばかにしてきたお前ら。
一生そうやって誰かの足を引っ張ることに一生懸命になっていればいいさ。
その場では愛想笑いをしながらお前らに合わせてやる。掌で踊ってやる。だけどよく考えろ。本当に踊らされているのはお前らだ。

せっかく温泉気持ちよかったのに、あの一連のやり取りで一気に冷めた。
今度は1人で温泉に行こう。

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