• 現代ドラマ

ヤクルト1000とダンス

乳製品乳酸菌飲料の「ヤクルト1000」が今話題になっている。
ヤクルト1000を飲んでから夜ぐっすり眠れるようになった!睡眠の質が上がった!ストレスが減った!というような口コミがSNS上で瞬く間に拡散され、ヤクルト1000本人も戸惑ってしまうぐらい売れているらしい。どこのお店に行っても在庫切れになってしまっているみたいだ。

周りの友人やSNSを見ていると、この「ヤクルト事件」には3種類の人間がいると僕は感じる。
タイプAは「ヤクルト1000を探し回る人」。流行り物に敏感な僕の友人Aはこのタイプで、コンビニやスーパーを探しまわっても見当たらないためヤクルト本社に電話したらしい。とてつもないヤクルトへの情熱と執着心だ。
タイプBは「ヤクルト1000を探し回る人を鼻で笑う人」。僕はこのタイプに該当する。特定の飲み物を飲むだけで睡眠の質が上がるなら誰も苦労しないし、朝から晩まで探し回る暇がある人はそもそも疲労感なんてないはずだから睡眠の質なんて気にしなくていいと思っている。情弱が頑張っているなあと鼻で笑っている。
タイプCは「無関心orヤクルト事件を知らない人」友人Bはヤクルトが売り切れていることすら知らなかったし、事件の全貌を話してもあまり食いついてこなかった。否定も肯定もしてこなかった。

昨日、タイプAの「ヤクルトを探し回る人」に属する友人Aに会う機会があり、ヤクルト事件の話題になった。友人はキラキラした瞳で「いやー探してるんだけどどこにもなくてさー。俺ヤクルトに電話しちゃったよ。」と楽しそうに話していた。
僕はそれを聞いて「絶対あんなの効果ないから。絶対思い込みだし、探し回るとかネットの情報に踊らされてるバカしかいないだろ。」と冗談まじりに友人をバカにした。
すると友人は「思い込みでぐっすり眠れるならそれはそれで幸せだろ。お前そんなんで人生楽しいのか!」とツッコマれた。

僕はそこから何も言い返せなくなってしまった。図星だったからだ。
ヤクルトを探しまわっている事を楽しそうに話す友人と、それを小馬鹿にする自分。
正しいのは僕の方かもしれないが、楽しそうなのは友人の方だと思った。
誰かに迷惑をかけているわけでもないし、ヤクルトごときで盛り上がれるのならそんな幸せなことはない。俯瞰してすかしてわかった気になっている自分よりは少なくとも幸せだろう。



ヤクルト事件において、タイプCの「無関心な人々」は特に問題がないと思う。どうでもいいと言われたらそれまでだし、興味がないならそれでいい。
問題は、タイプBの僕みたいな「ミーハーを嘲笑する人々」だ。この類の人間は物事をすぐに俯瞰して全て分かったような気になり、上から誰かを小馬鹿にする。自分は何もせずに、踊らされている人たちを見下す。そしていざ自分が何かで踊ろうとする時、踊りたい時、周りの目が気になって何もできなくなる。
周りの目とは結局、過去に自分が向けてきた他人への目なのだ。
周りの目が気になるのならば、まずは自分が他人へ向けてきた目を変えるしかない。
このままでは、ヤクルトで踊る人々をバカにして、自分は何も踊れないまま一生が終わってしまうのではないかと、友人の一言で気付かされた。

だから他人の目を気にするのはやめましょうとか、人をバカにしてはいけませんとか、そういう単純な話をしたいわけではない。
しかし、踊らされている人を嘲笑うだけだと、いつか自分が踊りたくなった時に踊れないぞ、ということだ。
踊るのをバカにして生きるぐらいだったら、踊らされたほうがいい。
踊りたい時に踊れず、踊らされることもできず、キョロキョロ周りを窺いながら過ごす一生なんて望んでない。


「ヤクルト1000 売っている場所」
試しに調べてみた。
とことん踊らされてみようか。いつか踊りたくなった時に思いっきり踊るために。

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