新卒で入社した会社を一ヶ月で退職した。社会人デビューホヤホヤの僕は、社会の洗礼というものを浴び切る前に、初々しさが姿を消す前に社会から脱走してしまった。
仕事を辞め抜け殻のような生活を送っている僕だが、現実が見えていないわけではない。
朝起きた時、ご飯を食べている時、同じく社会人デビューほやほやの友人のSNSをのぞいた時、なかなか眠りにつけない時。1日のありとあらゆる瞬間に、国民の義務を果たせていない虚無感と、焦燥感と、先の見えない不安が僕を襲う。
好きな音楽を聞いてもお気に入りの漫画を読んでもスマホを通じて煩悩を刺激しても、現実という鎖は僕を離してくれなかった。
そんな日々の中で、僕がある人に言われた言葉をふと思い出した。
「小説書いてみれば?絶対面白いの書けるよ。」
ハリーポッターの原作を書いたのって実は俺なんだよね。と誰でも嘘と分かるようなつまらない冗談を僕が言った時に、その人が僕に向けて言った言葉だ。
きっと深い意味なんてない。思いつきで言っただけだ。あの人はそういう人だった。
だけど、このタイミングでその言葉を思い出したのには何か意味があるように感じた。
第六感に操られるようにして、パソコンを開きこのサイトの会員登録をした。
小説なんて書いたことがない僕は何から始めれば良いのかも分からなかったが、なんとなく書くことは決まっていた。これしかないと思っていた。
タイトルは「あの時」。
特別な人。僕が大好きだった人。僕の大好きで大嫌いな人。
僕が何度も思い返す「あの時」には、いつだってその人がいた。
幸せを追い求めて転げ回った日々を、抱えた幸せがこぼれ落ちる怖さに怯えた日々を、大好きだったものが大嫌いに変わっていったあの日々を、丁寧に慎重に乱暴に思い出しながら書いている。
「小説描いてみれば?絶対面白いの書けるよ」
言ったことすら覚えていないだろうあの言葉を馬鹿みたいに今も信じて、引きずって背負い込んで、誰の目にも留まらない小説を今日も書く。