いつも応援いただきありがとうございます。
本日更新分のエピローグ6話をもちまして、デイドリーマーズは無事完結いたしました。
2022年7月に公開してから約1年半、たくさんの方々に支えられながらここまで来れました。応援してくださった全ての皆様へ、改めて心からの感謝を。本当にありがとうございました!
新しい世界が始まるまでの長い物語は、楽しんでいただけたでしょうか?
マコト先生とアーティたちの未来に、希望を見出せていただけたでしょうか?
「デイドリが視えるようになった世界で、タマキがにゃ~んと鳴いて終わる」
構想当初にはっきり決めていたのは、これだけです。どんなセリフ回しにすれば印象的になるのか、どんな展開にすれば説得力が出るのか、どんな景観がこのシーンに相応しいのか。その都度放出できる最大限の想像力と表現力で書き綴ってきました。ある意味、行き当たりばったりとも言います。
人間とデイドリの関係性って、人間同士の普段のやり取りでも重なる部分があると思います。知らないから相手を恐れるし、想像力が及ばないから人を傷つける。それが悲しいことだと気づいていても、誰かを理解するのって簡単なことじゃない。だからこそ、アーティのヒーロー性がいっそう輝かしく見えたんだと思います。
作品を通して伝えたかったことは作品の中に全て置いてきたので、ここでは多くは語りません。何か一つでも心に残るものがあれば、作者として大変嬉しく思います。
思い返すと、デイドリを書き始めたのは自分なりの挑戦でした。
その直前、私は年増芋聖女を書いていました。転生や聖女、異世界恋愛などの流行りのワードを含んだいわゆる「テンプレ」に挑戦したくて。結果的にテンプレ通りにはいかなかったのですが、流行というのはやはりすごいもので、ありがたいことに恐ろしいくらい読んで貰えました。それと同時にアンチコメントやご指摘もがっつり頂戴しました。
脳死脳直のただのアンチは「治安悪いなー」くらいにしか思わなかったのですが、グサッと来たのはご指摘の方です。「不遇の割にざまぁが足りない」「もっと早くざまぁを」「チートないの?」などなど。痛み入ります。
テンプレというお約束事に慣れてしまった読者様からすると、約束が一つでも守られないとご満足頂けない世界なのかなと、創作を始めて以来初めて落ち込みました。オリジナリティを出してはいけないのか。拘った作品よりも展開や要素が約束されている作品を書くのが正解なのか。悶々と悩んだ末に見つけたのは「結局私は、私が書きたいものしか書けない」という自分本意な答えでした。
「何のために書くのか」によって、「何を書くのか」が変わってきます。
たくさん読んでもらいたいなら大衆が喜ぶものを書くべきだし、文章作法を追求したいならWEB小説よりも公募に挑戦した方がいい。でも私、わがままなので。書きたいものを書いた上で、一人でも多くの人に読んでほしいと思ってしまったのですよね。
そうしてデイドリの構想が始まりました。
書きたいものってなんだろうと考えたとき、とにかく綺麗な物語を綴りたいと思いました。かわいいものかっこいいものより、美しいものが好きなので。おぞましいことも綺麗に描こうと決めました。美しいというのは造形的なものだけではなく、生き様や考え方もそう。一つのシーンを彩る景観描写も、そこに息衝く音や匂いすらも美しく描きたい。
それと同時に、流行を無視した作品を一人でも多くの人に読んでもらうために何ができるのだろうかと考えました。宣伝などのセルフブランディングは当然として、それ以外で工夫できることはないのか、と。
同じような志を持つ創作仲間さんの手を借りて辿り着いたのは「とにかく文章をわかりやすく、伝わりやすくすること」でした。読んでもらうにはまず読者様の目に留まって、表紙を開いてもらって、そこから次のページに進んでもらわなければなりません。だけどそこに誤字や難読漢字がずらっと並んでいたら、ページは捲って貰えないだろうなと思ったのです。
たまに「非テンプレ(本格)=難読こそ至高(読めない読者が低能)」の主張が語られるのを見ますが、それに関して個人的にNOを唱えたかった。読み難いものを読むことがワンランク上の読書と言うのなら、私は読書が嫌いになってしまいそうだったから。私は読みやすくて素敵な物語を読みたいし、読んでほしいのです。それに「読みやすいもの=軽い・ちゃち」みたいなイメージを払拭したかった。全部自己満足でしかありませんが。
デイドリはありがたいことによく「読む映画」と評していただいてます。脳内に映像が流れるような文章を目指していたので本当に光栄なお言葉です。でもそれってつまり、皆さんがちゃんと読み込める文章を書けたということだと思うので、この試みは成功したのかなと密かに喜んでおります。
こんな感じで、デイドリの執筆は常に挑戦でした。ずっとつま先立ちで背伸びして、水面から顔を出して必死に息をしている状況でした。執筆が長くなるにつれて苦しいと思う時間が増え、私生活のあれこれでメンタルが安定せず、何度も背を向けようと考えては休載を挟み、ようやく今日を迎えました。先日の近況ノートで語った通り、最後の方は折れた鉛筆の芯を摘んでどうにか書いていたような状況で、正直に言うと満身創痍です。
でも、逃げずに書ききって良かったなと心から思います。執筆歴は無駄に長いのですが、これまで長編を完結させた経験がありませんでした。長くて7万字くらい。自分で広げた風呂敷がたためなくなって諦めた作品もあります。
そんな中で完結まで走り抜けられたのは、やはり応援してくださった皆様のおかげです。デイドリを通じて多くのご縁に恵まれました。書く人とも、読む人とも。この人たちに背を向けて筆を放り投げることが、私にはどうしてもできませんでした。最後の最後まで弱い私を助けてくださって、本当に本当にありがとうございました。
先日ご説明した通り、デイドリの完結をもって私は一旦筆を折ります。今の筆ではもう書きたくても書けません。他者に依存してすぐ折れるような芯のない筆ではだめなんです。しばらくは皆様の作品を拝読したり映像作品をインプットしたりしながら、新しい筆を探していこうと思います。
何のために書くのか。
どうして書きたいのか。
執筆との向き合い方を、もう一度ちゃんと考えてみます。
もしまた書き手として戻って来ることがあれば、今よりももっと前向きに楽しく書けるようになっていたらいいな。
最後に重ねてにはなりますが、今日までデイドリーマーズを応援、ご愛読いただき、ありがとうございました。そして西暦2045年の架空未来を鮮やかに駆け抜けてくれた全てのキャラクターたちを誇りに思います。私には過ぎた宝物ばかりを与えてくれたこの作品自身にも、最大級の感謝を。
そして今度は、私が皆様の創作を応援していきたいです。ある日突然あなたの作品をイッキ読みする応援猫が現れるかもしれません。その時は温かい目で見守っていただけると幸いです。
皆様、どうか素敵な活字ライフを。そして皆様の記憶の片隅に『デイドリーマーズ』が一欠片でも残ってくれたら、大変嬉しく思います。素晴らしい経験をありがとうございました。
2024.01.31 貴葵
作品はこちらからどうぞ。
https://kakuyomu.jp/works/16817139556547172219