こんにちは、螢音です。
今回も香鳴裕人様の自主企画、同題異話SRに一本投稿しました。
→サヨナラ、小さな罪
https://kakuyomu.jp/works/1177354054922560410デビュー25周年を迎えた男性3人アイドルグループの一勝負の話です。
贈与士、の方でも話を考えていましたが、テーマ内容に沿うことと、現状で自分が伝えたいことに合致すると思ったので今回こちらを投稿しました。
今年も残すところ、3か月。
様々な変化がありましたね。今月も世間的に重大な変化のあった月でした。
世間話をすると、どう変わったかという話題がを当たり前のように出てきます。
その後でこう続くんですよ。
「変わらないわけがないですよね」、と。
世界が大きく変化し、変わらざるを得なかった人もいます。
ただ、中には大きく変わらなかった人も、あるいは変わらず続けることを選んだ人もいるでしょう。
そんな人たちはこの状況をどんな思いで見つめているのでしょうか。
“変わること”が良い、チャレンジすることが称賛される、そんな意見が増えてきたこともいいことではあります。一方で“変わらないこと”が悪い、単なる逃げや停滞、言い訳のように捉えられている風潮も出てきている、と感じています。
“変わらない”ために維持することも労力がかかることで、人生を賭けた選択肢の一つ、のはずなんですけど。
今回のテーマ、「サヨナラ、小さな罪」の「サヨナラ」は別れを意味する言葉です。喪失の後には変化がつきものです。
別れをするということは、ある意味変化を望むということでもあります。
反対に別れをしないこと、現状維持、変化しないことってどこか罪悪感を感じることのようにも思います。臆病さから逃げているだけじゃないのか、と。
変わらないこと、そのものが罪であるかのように小さく小さくチクチクとさしてきます。
罪悪感があるなら、それはすでに罪が生まれている、ということ。
つまり変わらないを選ぶことこそ“罪”である、と。
そこから今回の物語の着想を得ました。
“変わらない”を選ぶ人へ。
言い訳などではなく、理由を持って選んだ人へ。
この話が、選択を誇れる一押しになりますように。
では、今回はこの辺で