第三十一話を書くのに、時間がかかった。
アヌビスの学校生活において、友達といろいろな物事を乗り越えるという経験をさせてやりたく、そのことをうんうんと頭をひねっていた。
それが見つからず、信長の野望・創造を二日間で二十時間以上遊んでいた。
これはアイディアをひねり出すために必要な時間なのである。うむ。そうに決まっている。
それで昼の十二時まで徹夜でゲームしていた昨日の昼(俺には夜中)、突然頭の中でミッシェルガンエレファントのドロップが鳴り出した。
たまらず、音楽を再生した。
俺は溶けた。震えた。
チバユウスケはもう死んで、この世にはいない。
でも残したものが、いまでも俺の心を震わせる。
それは厳然たる不滅だ。
俺はそのエネルギーを味わった。受け取った。チバユウスケの声が、永遠を物語った。
だから、信長の野望を辞めることができた。
今日も小一時間散歩して考えた。
そして、ある程度の形を得た。
ある程度でしかないため、まずはアヌビスにやらせてみるしかない。
筆が正解を運んできてくれることもあるだろう。
ともかく、再び書き始めた。
で、その前に競駝場に戻した。
競駝の勝ちをよしとするのは、自分の子供が読むときに教育に悪いと思ったからだ。
だから、蛇足であるとわかっていたが、もう一度競駝場に向かわせ、ラーの助言を書いた。
ギャンブルは生きる勘を養うのに素晴らしい科目である。
不測の事態を受け入れる事、リスクのコントロール、なにより、勝つためにはベットする必要があるということ、そのためには勝つべくして勝つように徹底して考えるということ、負けたあとの気持ちのコントロール、勝ったあとの気持ちのコントロールなど、野性的に生きる上で必要なすべてが詰まっている。
だから、ギャンブルのそういった側面も、いずれは書いてみたい。
が、いまではない。もっとアヌビスが強くなったらでいい。
マスダルの学院生活がどんなものになるか、ホルスとアヌビスはどういう関係をつくっていくのか、俺も楽しみ。