『伊勢物語』お好きですか?
私は大好きです。
第十二話中にて、宰相の君がけなすような体裁を取りましたが、もちろん私の本意ではありません汗。
<おきのゐて 身を焼くよりも 悲しきは 都しまべの 別れなりけり>
この歌を最初に知った時、正直よく分からない、と思いました。
技巧でいえば極めて冴えわたった作りです。
「おきのゐ(沖の井)」は「熾き」にかかり、「都しまべ(島べ)の別れ」は「都島のほとりでの別れ」と「都と島とで離ればなれ」にかかります。
見事な発想力と言うしかありません。
でも…、おおげさじゃない?と思いました。
自分自身の想像力の未熟さ故なのですが、よくよく考えて、この歌の当時、人は一度別れれば、それが恋人であれ友人であれ、生涯二度と会わない可能性も高いでしょう。
交通手段もままならならず、かつ都島は宮城県、当時としては相当な遠方、現代の海外よりももっと遠いイメージかもしれません。
その永遠かとも思われる別れを何とかして表現したい、相手に伝えたい、という背景を想像すれば、身を投げ出すようなこの表現に違和感を抱くこともなかっただろうと思います。
今回、また別の歌も掲出しています。
<日の本に はやらせ給ふ 岩清水 まいらぬ人は あらじとぞおもふ>
紫式部のエピソードとして有名ですが、和泉式部とも言われる逸話です。
きっとどちらでもないでしょう笑。
鎌倉中期以降『八幡愚童訓』に収録(私は未読です汗)なので、平安中期の歌にしては文言のチョイスがしっくりこない、というのも理由にあります。
この歌を下地にして、今回創作歌を作りましたが、正直笑っちゃった方もいらっしゃるかと思います。稚拙であることはさておいて、です汗。
<つれもなき 人を恋ふとは 石清水 身を焦がすほど 恋しかりとは>
厚顔無恥にも掲出いたしますが、古典に慣れてない方でも意味は何となくわかると思います。
つれない人を恋しいとは、『石清水(言いません)』
石清水が掛詞なのですが、正直これ、おやじギャク(死後?)じゃね?って思いませんでした?私は思ってました、学生時代。下の歌です。
<君により 我が名はすでに 龍田山 絶えたる恋の 繁きころかも>
(万葉集第十七巻 3931)
あなたのために私の名が世間に立ってしましました
こちらに初めて触れた当時、その技巧について授業で解かれていたのですが、私は理解が追い付かず、「我が名はすでにたつたやまって!おやじギャクじゃん!若者がシーンてなるやつじゃん!」と汗
正直、掛詞の中には現代的な目線でとらえると組み合わせや語感に違和感を覚えるものも、滑稽さを感じるものもあるように思います。
ですが、これは逆なんですね。本来は、言葉で表現する、可能性を追求する、遊ぶ、という文化が発明され醸成されていった、という歴史的経緯が先で、
それが時代を下った挙げ句に陳腐化してしまった、という流れを理解することが重要なのですが、その視点が私には抜けていたわけです。
陳腐化したものを先に知ってしまうと、それを遡及して、成立した時点の、それまでにない新しいものを発明し、研鑽されていった、という視点が抜けがちで、本末転倒してしまいます。
あらゆるものがそうですが、昔のものはすべからく拙い、という視点は危険だな、と感じます。それまでになかったものが発見、発明されて、現代の形に洗練されていった、と考えければ、歴史を無価値と見なすことになりかねないのかもしれません。
さて、話が脱線しましたが、都島の歌の女は誰でしょうか?
古今和歌集 巻第十 墨滅歌にこちらの歌が所収されています。よみ人は小野小町です。
小町は伝説的な結びつきで、様々な説話や歌の作者とされがちな人物です。
なので、都島の女が即小町だ、とまで言い切れないところではあるのでしょうが、今話ではにおわせで小町を目しています。
小町ほどの人物ならば、恋の華やぎも別れの辛さも、見事な技巧の内に留めてしまえるのではないか、そうした歌人への評価を踏まえて、
かつ、私自身の(未熟な)経験と現代的な視点で『伊勢物語』都島を捉えたものを、今回、宰相の君の歌論として表現した次第です。
決して『伊勢』をけなしたわけではありません、とそれだけ言い訳したいがために長々と書きました汗。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
いつも拙作をお読みいただきありがとうございます。