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批評とは何か?

こんばんは。

いま、中公文庫の『吉本隆明 江藤淳 全対話』を手に入れて、読んでいるところである。
二十年前とかに、彼らのハードカバーの対談集を読んだことがあったと記憶するけれど、この『全対話』としては、初めて読む。
一文いちぶん、がスゴい。濃密な対話。

例えば、いま読んでいたところで言うと、
吉本が、
《……文明開化に対する、あるいは西欧に対すると言ってもいいんですけれども、そういうものに対する漱石の文明批評的傾向性から、三角関係みたいに固執する傾向というのは、解釈可能だというふうに思うんですよ。……》
と言えば、
江藤が、
《……漱石の内部にある三角関係的な構図を、必ずしも全部、登世と、兄と、自分という関係の反映と見ることはできないだろうと思いますね。そこにはたとえば、義父母と、実の父母の間に置かれている自分の反映もあり、それからおっしゃる通り、西洋と日本、ということもある。……》
と受ける。

文藝評論家、批評家ッて、批評ッてこういうことだと感じるのですよ。

それでは、また。

2件のコメント

  • 昔の人は、(少なくとも公衆の面前では)幅広い教養に基づいた「骨太の議論」をされていましたよね。(最近は、「専門家」であるはずの方々の議論を聞いていても、良質の議論の土台になる「共通の知識ベース」が揺らいでいるように感じることがあります。そうなると、思い込み・決めつけ・感情論に流された「底の浅い議論」になってしまいそうです。)
  • 無名の人さん、こんばんは。

    するどいです。
    まさに、この文庫の解説(内田樹さんと高橋源一郎さんの対談)では、吉本や江藤を百貨店になぞらえ、後の世代を専門店みたいだと言っています……。
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