• に登録

3回目の自殺の話②

全く正常な意識がないところは、後から人から聞いた話も混じえています。

【11/5 昼】
「鍵かかってますね」「開けますね」と知らない人の声がして、バタンという大きい音がして知らない人が入ってきたのをうっすら理解した。母が警察を呼んだのだ。警察官の姿を見たところでまた意識が飛んで、次目覚めたのは救急車の中。ジェットコースターに1000回乗ったような目眩と吐き気で目が覚めた。救急車の中で目が覚めたり気を失ったりを繰り返した。母曰く、救急隊の皆様に暴言を吐きまくったらしい。申し訳ない。

結局かかりつけのC先生のいる総合病院に運ばれた。ここで、医者らしき先生から「何をどれだけ飲んだのか知りたいんです」と聞かれた。これは正確に答えられて「サインバルタ、3ヶ月分、レキソタン、マイスリー、カルボシステイン、ロキソニン、ドンペリドン。両手に二杯飲みました。」と言った。言えたと言ってもほぼろれつが回っていなかったらしいが。

しかし、薬の殻を数えてみたら300錠以上あることがわかり、ODによる急性薬物中毒。薬剤性肝炎、首吊りによる誤嚥性肺炎が発覚。急遽一般床からICUに移されてしまった。ここから、薬剤性せん妄状態になる。

【11/5 昼〜夜】
ICUにはいってせん妄状態が続いた。幻聴幻覚、見当識障害のオンパレード。内容としては、自分はここにいたら必ず殺される、医師や看護師が自分を殺す相談をしているというものだった。そのため大暴れに暴れて点滴も引っこ抜いた。防止策として、両手両足拘束を24時間された。母が拘束同意書にサインをした。横向きに寝れなくて辛かった。この状態が11/8くらいまで続く。

家族がいる時のみ足の拘束は解いてもらえたため、家族はとにかく短い時間でも面会に来て、そばにいてくれた。が、家族に対しても幻覚により暴言を吐きまくった。
たまにふと、正常に戻る時があり、点滴を3本されていることを理解したり水を飲ませて欲しいと言えた。
耳元では常にピロン、ピロンと心電図モニターの音が鳴っていた。この鼓動に合わせた電子音は一生忘れないと思う。少しでも音が乱れると看護師さんが飛んできた。
また、ごちゃごちゃな意識の中で看護師さんの発言がたくさん聞こえた。

「昨日は本当ーに危なかったんだからね。」
「●●先生来るまで、生きててよ。」
「点滴。3本も抜いちゃったの覚えてる?」
「カーテンの紐でやったの?えー、病室のカーテンで首吊られたらどうしよう」
「あら、11/5お誕生日じゃない?」
「若いんだから絶対大丈夫よ。」

看護師さんの顔も名前も覚えてないが、これだけは覚えてる。
この日の夜に母から夫に、私の自殺事件が告げられた。入院していること、危ないこと。その時の反応は、分からない。
それでも夫は面会に来てくれた。それを聞いた時、かなり驚いた。動揺してせん妄が激しくなってしまい、また暴れたのでC先生が夫に今は面会しないほうがいいと伝え、実際に会うことはなかった。

また、家族がC先生に色々尋ねたが、C先生は「守秘義務があるから。本人の口から聞くまで私からは何も話せません」と筋を通してくれた。うれしかった。しかしせん妄に戻るとC先生にも暴言を吐きまくった。C先生が泣いて、土下座をするという幻覚をたびたび見た。

【11/6〜8】
せん妄が抜けてきた。暴れたり暴言を吐いたりすることなく、今度はひたすら眠り続けた。
水を飲んで食事を取るように何度も言われた。後から、CT検査で、胃に大量の薬が詰まっており、食べて飲んで、排泄して少しでも体内から薬を出すためだと知った。
この時、寝たままベッドの上で看護師さんが髪を洗ってくれた。1週間もお風呂に入っていなかった。この時の気持ちよさは本当に涙が出るくらい気持ち良くて、ありがたかった。髪がサラサラになった。

フラフラしながらも点滴棒につかまって歩けるようになった。それに伴い尿カテーテルが抜け、付き添いは必要だがトイレに歩いて行けるようになった。よく患者さんがふらついているのを見かけたが自分がその状態そのまんまだった。

初めて正常な意識で夫と面会した。眠すぎて詳しくは覚えていないが「ゆっくり休んで」と言われた。うん、と言って寝落ちした。まだ中身のある会話はできなかった。

車椅子で移動して、リハビリをした。人間10日近く寝たきりでいると、相当筋力が落ちるらしい。フラフラしてばかりだったが、何とか歩けるようになり退院の許可が出た。

C先生が、自宅退院するか精神科に入院するか聞いてきた。私は、夫に会いたくて会いたくてすぐにでも帰りたいと言った。わかりましたと言われ、入院はせず、帰ることになった。しかし帰る先は夫のいる家ではなくて実家だった。
夫には1回の面会以外全く会えておらず、寂しかった。ひたすら会いたいと思った。

11/10,退院。
記録しておきたいのはここまでなので、おしまいです。

追記
わたしは結婚してから健康保険の切り替えをだらしなくてやっていなかった。この時、無保険状態だった。元気になってからの、請求額をみたらなんと200万円であった。これは夫が頑張って病院側と交渉をし、保険適応にしてもらったからよかったもののほんとにやばいと思った。

保険適応で、40万。夫が払ってくれた。
彼は口先でなく行動でも愛してると言える人だった。こんなことを言う資格はないが、今でも私なりに、愛してる

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する