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回想

今回の離婚の原因は、直接的に言えばわたしの性的逸脱行為です。
精神科医の先生は「躁では?」と疑うも、長い診療歴からそんな兆候はなく、不思議がってる様子。
元夫と義母は狂乱の最中にいるようです。
今わたしにできるのは自分を見つめることだけです。最も逸脱行為が激しかった頃のことを、過去の回想とともに、出来る限りの冷静さでここに記します。性的な描写が苦手な方やフラッシュバックのある方は避けてください。



元夫にしか話していない事。

5歳(小学校に入学する直前なので多分この辺)くらいの頃、妹と近所の公園で遊んでいた。
妹が他の友達と遊びに行ってしまい、暇になり階段に座っていた。大学生くらいの男の人が近づいてきた。いわゆるイケメンで、とても中性的な顔立ちをしていた(芸能人でいうと千葉雄大。)「なにしてるの〜」というようなことを言われてよく覚えていないが公園のトイレに一緒に入った。性器を触られたり「気持ちいい」というようなことを言わされたりした。何となく走って逃げようとすると、「妹に言ったりしたら絶対にだめだよ」と言われる。なんで妹と知っているのか。この時は正直なにをされていたかわからなかったので「?」で終わり特に親などにいうこともなく終わった。

そのまま成長して18歳になった。母と祖母から一般的な親が言うのと同じように「女の子は危ない目に合うから気をつけなさい」「変な人が変なことをするから」と言われて育った。



大学生になり、初めて異性と性的な関係になった。ここで、初めて昔あったことの意味が全部分かった。母親たちが言っていることの意味も分かった。その他、性犯罪や女性差別がある事なども年相応に知ってはいたから、なんとなく世界が男と女の性別に支配されていることが分かった。そんな世界の中で変な人に変なことをされた自分はいまさら終わってると思った。(この後、なにをやってもなにを言われても「いまさら終わってる」という感想しか抱かなくなる)
ショックとか悲しみ、怒りとかは多分なかった。でも普通じゃないんだという感覚を焼き付けられた。そこからどんどん本当に終わっていった。



18歳は未成年だけど当然のように皆でお酒を覚えた。お酒の勢いで、まずは周りの異性の友人、上級生と関係を持った。気が合えばそのまま付き合ったりした。ほとんど家に帰った記憶がなく、誰か男の人の家から山盛りの教科書を持ち歩いて通学していた。酔っていない状態で性的な行為をしたことがなかった。のちにアルコール依存症となる。



23歳になった。看護師の資格を取りたくて学校に通った。ここで出会い系サイトに若い子たちがたくさん登録していて、恋人を作っていることを知った。面白半分に友達と登録した。あまりの便利さに飛び上がりたかった。今まで異性とはそれなりに、ある程度知り合いになり、飲みに行き、カラオケに行き、雰囲気に持ち込み、ホテルか男の自宅に行き、性行為をする順番を取っていた。後から付き合う付き合わないとトラブルになることもあった。
しかしネットの世界では「やろうよ」、以上。めんどくさいやりとりをしなくて良いのだ。面倒くさいと感じる時点で麻痺してるが、当時は超〜便利!と思っていた。ハマった。
しかも男性は有料というところが優越感をくすぐった。現実世界で、女性であることに優越感を感じられることなんて無いじゃないか(映画のレディースデーくらいで)。生理はきついし見た目で判断されるし性犯罪に合うし妊娠出産で死ぬかもしれないし、就職も学歴も男が有利。なのに、(普段何をしているのか知らないが)私が楽勝でこなしていることをこいつら(男)がお金を払い、気を引くメッセージをちまちま考え、必死になっている。バーカ。サイトを覗いている間は万能感、爽快感が駆け巡った。時には仲良くなった(らしき)相手に何時にどこ、と送りつけて、当日相手から戸惑った連絡が来るのを楽しんだりしていた。実際に性行為をしたとしても支配欲より上のものはなかった。歪んでいた。

中でも2〜3人特定して会う相手ができた。この人たちと会っていた理由。理由は何だろう…
とにかく寂しかった。誰かに抱きしめて欲しかった。朝まで一緒にいて欲しかった。たわいもない話がしたかった。そうすると一時的に安心した。セックスフレンドという言葉を考えた人は天才だと思った。でも誰にも思い入れができないように、何人かに分散させていた。バカにしているのに離れられなかった。



この中の一人と、アンダーグラウンド(違法)なバーに出入りするようになった。これにもハマった。出会い系ではちまちまメッセージを一応打たないといけないし、見た目が全然違う人が来ることも多々ある。イライラする、死にそうに寂しい、セックスで発散したい、そういう時には向かないツールだった。後は、バカなりに分かっていたことだが、危ない。逆説的なようだが違法なお店の方が女性にとっては安全だった。コワイスタッフが、乱暴な男客がいないか、無許可撮影をしていないか、などなど
目を光らせているから。
今思えばそれは何故か。若い女性客(欲を言えば、新規の何も知らない)を集客する必要があるからだ。女性は無料、男客は1万円超というのがこう言った店の相場なので、男客を集めないと利益にはならない。だから安全で楽しい場所と女性に思ってもらう必要があった。女性客は金を集めるエサだった。
究極に真っ黒なおもてなしだが、そんな店のスタッフや常連客たちはみんな親切だったし、優しかった(ように感じられた。)バカな話だが、佳奈ちゃん佳奈ちゃんと可愛がってもらい、
嬉しかった。面倒なやりとりがなく、実際に容姿をお互い確認できて、しかも安全。便利だと思った。ここでは女性であることと、容姿と若さが絶対的に強い。普段は「お姉ちゃん」としか呼んでもらえないOLも、同級生からブス、デブと言われたりする地味な大学生も受け入れてもらえた。同性の友達も何人かできた。普通の友達に「彼氏がいるのに浮気しちゃった」と言ったら、恐らくひかれて窘められる。でもここの女友達は「あーね笑」と受け入れてくれた。何人かの女子と組んで新規の男客をからかって遊んだり、何もしない時はトランプをしたり。それも楽しかった。みんな自分になにが足りてないのかそれなりに分かっていて「承認欲求!笑」と常々言っていた。頭の良い友達だと誇らしかった。



性行為そのものに関して。狂った異常空間だった。男女の客は「ルーム」と言われる部屋に入って性行為をするが、複数人の男女が同じ一つの部屋でセックスしている。自分の頭ひとつ隣で、違う女性の乱れた髪の先が見える。さっき自分と一緒にいた男が、隣で違う女性と寝ている。くるってる。しかも、そのルームは外から鑑賞できるようになっている。時折誰かが、飲みながら散歩がてらに覗きに来る。これにはずっと慣れなかったがだんだん感覚は麻痺していく。この頃には体がドーパミン報酬を覚えてしまったのだと思う。
こんなことをしつつあの量の実習と講義を終え、国家試験を通り、看護師になれたことは奇跡としか言いようがない。
また、信じられないことにこう言った一連の行動をしつつ、わたしには7年間も付き合っている彼氏がいた。



社会人になった。遊ぶ暇がなくなった。彼氏はまだ学生だったので、考えの違い等にイラついてしまう日が続いた。ストレスで酒量が倍増し、勢いでまた男と寝てしまう日が続いた。
そのうちの1人に熱心に言い寄られて、7年も付き合った彼氏と別れてしまった。泣かれた。男の人が声を殺してなく姿を初めて見た。それでも非情だと思うが新しい男のことしか頭になく、別れた。が、わかりきったことにその男ともすぐに別れてしまい、初めて1人になった。

1人、それはものすごい焦りと不安と恐怖だった。なんだかんだ言って、彼氏がいたから私は1人じゃなかったのだ。何がなのかは、わからないが、とにかく早く何とかしないとと焦燥感に駆られた。どのツールが一番最適で早い?やはり出会い系だった。



ここまで書いて、「妊娠や性病のリスクは?」と疑問が出ると思う。当時の私にとってはそれすら遊び感覚だった。低容量ピルや他の方法を組んで用い、学校で学んだ医療の知識を使ってかなり完璧に近い対策をしていた。本当にしっかり勉強していたらわかる、完璧なんかないことが。でも当時は自分の体でさえも自分でコントロールできることに万能感を感じていた。
sex and the cityのように性的に大胆な女性たちのドラマが流行り始めたのもこの頃だったように思う。それを見て「そんなの知ってる」と笑った。私の時代が来たくらいには多分思っていた。ドラマの彼女たちと自分が違うのは、彼女たちは奔放ながらも自尊心がある。私には無かった。だってもう終わってるから



この二つの狂ってた時期のことはよく思い出す。性的な虐待を受けた人は、性的逸脱行為に走りやすいのだそうだ。わたしは?じゃああの場にいた人は、サイトの人は、皆虐待を受けたのか?親との関係も悪かった。学校でも虐められていた。なにが悪かったのか?違う人生だったら離婚しなかったのか?もし、彼が受け入れてくれたら…結局原因を振り返ることに意味なんてない。
子供の頃の事件については、もう思い出すことができない。思い出してもなにも変わらない。もう終わってるという言葉でしか何もかも表現できない。今もテレビの千葉雄大の顔は、なんとなく正視できない。


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