先日、実家において妹が録画アニメを見ていたので「これなに?」と聞くと『葬送のフリーレン』だという。
ああ、なるほど。これがちまたで噂の──
と思い、そのまま一緒に三十分視聴した。ついでに『薬屋のひとりごと』も始まったのでこちらも視聴。
面白いと感じたので「原作は持ってないの?」と尋ねると、持ってはいるが電子書籍だという。さすがに妹のタブレットを持ち出すわけにもいかない。結局、借りそこねてしまった。
けれどなるほど。
電子書籍だとこういうことも起こりうるのか、と妙な納得をしてしまった。
電子書籍というのは個人に一冊ずつ、そんな時代だ。家族で共同所有する本というのは、今後なくなっていくのだろう。
覚えている限り、私が生まれて初めて読んだ小説というのは「鬼平犯科帳」である。小学校に入る前だったから、おそらく五、六歳の頃。「作者死亡のためここで終わります」みたいな文を見て「続きないの⁉︎」と悶絶した思い出があるから、おそらく全巻読んでいる。
なんで読んだかというと、家にあったからだ。
祖父母の愛読書だった。
詳細な内容は覚えていないが、未だに強い印象として残っている話もある。主人公が『どうにも我慢しきれなかった』と言って仇討ちに走る話とか好きだった。(他作品と混同していたとしたら、すいません)
間違いなく、私の情操教育に関わってきているだろう。
あとは金田一耕助シリーズなんかもあったが、こっちは子供心に怖く感じて、ちょっと開いて閉じてしまった。
他にも、自分から進んで読まなかっただろうと思い当たるものがある。『少女漫画』だ。
『BASARA』『天は赤い河のほとり』『ときめきトゥナイト』『Wジュリエット』『山田太郎ものがたり』なんかは読んだ思い出がある。それ以外にも多数よみあさったものだ。
どうしてか。
やっぱり、家にあったからである。
Web小説を書く身としては、色々なジャンルの物語を読んだ方がいいと思っている。だから親兄弟の愛読書がたくさんあった幼少期は恵まれていたと思うものだが──もしかしたらこれからの時代の子供達は、自分が興味のある本しか買わないし、読まないのかもしれない。
これから電子書籍の時代がくるだろうが、子供たちには興味のない書籍にも出会える機会を、用意した方がいいかもしれない。
……なんて思ったことを、私小説風に書いてみただけの小話でした。