皆様、お久しぶりです。はじめましての方は、はじめまして。十九六と申します。
基本的に宣伝活動はTwitterが主流で、こちらではほとんど顔を出せず申し訳ないです。
今回は、ちょっと、いやかなり、凄まじく嬉しい事がありましたので突発的に、衝動に身を任せて近況ノートを書きたいと思います。
まず初めに、応援してくださっている方々、評価・コメントくれた方々、読んでくださった全ての方々、本当にありがとうございます!!
正直最初はカクヨムコンに参加する際、不安で仕方なかったんです。ただ色んな人の眼についてもらえればという一心で宣伝したところ、こんなにも多くの人に読んでいただきました。
皆さんの評価や応援、非常に励みになっております。くじけそうになったときは皆さまの応援を思い出し奮起したく思っております。
さて、そんなカクヨムコンも残すところあと1週間。早いもんですね。
自分は途中参加でしたが、初参加でもあります。読者選考というシステムがあまりにも初めてで手探りなもので、どうすれば突破できるのだろう? タブーなどはあるのだろうか? と不安でいっぱいであります。
とりあえず出来る限りのことを全力投球している毎日です。現在出している作品、『破滅掌者の救誓譚』は自分が一番気合を入れ、一番世に出したいと思い、一番愛している作品なので、どうにかして読者選考を突破日の目を浴びたいと思っています。
なので、最後まで全速前進で向かいます。どうか皆様もお付き合いいただければ幸せです!
さて、本題なのですが、「なぜ自分は"破滅掌者の救誓譚"に気合を入れているか」を少し語りたいと思います。
というのも、本日(2023年1月22日)頂いた評価コメントの内容があまりにも嬉しくて嬉しくて…衝動的に語りたくなった次第です。
引用するのは避けますが、内容としては自分が作中設定や能力詠唱に使用した元ネタなどに気付いてくれた内容のコメントでした。
こういった「元ネタ」に気付いてくれる、そしてその上でこちらの思惑などを推察してくれる。これは創作者冥利に尽きるというものです。
今回はそんな、自分がこの『破滅掌者の救誓譚』に込めた思惑というものの断片を語りたいと思います。
唐突な私事語りをご容赦ください。
自分はかつて(と言いつつ、今もなんですが)『最強』という存在に憧れていました。
きっかけは多分、某光の巨人の特撮で、毎週手を変え品を変え巨人を圧倒する怪獣たちを羨望の眼差しで見ていた幼少期だと思います。
「強さ」を強調し、そしてそれをどう倒すか工夫する。そういう物語が好きだった自分は、必然的に『最強』に憧れました。
ヒーローとしての最強ではなく、超えるべき存在としての最強。それを見るのがいつしか、自分の中の1つの物語を読む指標になっていたと思います。
自分の創作のインプットの歴史は、最強を追う旅路だったと言い換えても過言ではないかもしれません。
『ベクトルを操作する最強能力者』『全てを"なかった事"にする過負荷』『死を想像できない、故に不滅なる超越者』『死を直接突ける異能ですら死なない大蜘蛛』『全てを否定するが故に、唯一絶対無二なる邪神』
こういった、多数の最強に憧れ、よくどれが一番強いのかというのを脳内シミュレートしたモノです(全部の具体的な名前が分かった人!!友達になりましょう!!!連絡待ってます!!!!)
ただ、最強を比べると言っても、どれも土俵が違うんです。
「将棋の飛車とポーカーのAどっちが強い?」とか聞かれても大半の人が答えられないでしょう。
そういった、答えの無い比較を自分は長い間続けていたのです。無駄と笑う人もいるかもしれない。けれど、その無駄な時間が『破滅掌者の救誓譚』の世界観、即ち『ロゴス』を生み出したのです。
最強、を生み出す際、あるいは描写する際に、何が一番大事でしょうか?
自分は『説得力』だと思います。
そういう説得力を物語の世界観に落とし込んだのが、ロゴスという概念になります。
強さの説得力、最近だとあまり重視されていないように思えます。
上の例でいうと、「何故死を想像できないから死なないのか?」という疑問に「量子の世界では人間の意識が現実に影響を与える故にその応用で自分の死の観測を~~~~」という具合に、強さに現実の理論や比喩を用いて説得力を持たせるのが、最近は減ったかなと感じます。(自分のアンテナが低くなっただけかもしれませんが)
そういった強さの理屈を知るのが、自分は好きでした。だって作品の壁を超えて最強同士を比較し合いたい人間なのだから。そう言う理由で自分は彼ら最強に、共通する土俵……即ち「説得力」を求めたのです。
そんな過程もあり、自分の知識ツリーはえらく偏っています。
理系専攻のはずなのに倫理に詳しく、物理は得意だが化学は赤点三昧でした。倫理取ってないのに。
理由はやはり、最強を追い求めたからです。基本的に最強が複数出てくる作品(某運命、某神座など)だと、突き詰めた結果概念マウントバトルが始まります。
そこで説明や咀嚼に有利なのが倫理、主に古代ギリシャ哲学とかになるのです。結局、最強の能力や戦闘を描写するのは『言葉』なのですから、そういった言葉や世界の解釈を突き詰めた倫理が有利になるのは至極当然と言えるでしょう。
そうです。そこで自分は気付いたんです。
最強とは即ち、「言葉」なんです。どれだけ強さを言葉として描写し、相手を納得させるか。『自分』をどれだけ押し付けられるか。それこそが万象不変なる最強の定義なのだと、自分は悟りました。
それを形に出来る世界観を、何時しか書きたい。自分の思い描く最強なる存在が、大手を振るって縦横無尽に暴れまわれる世界を書きたい!!
そんな渇望が形になった作品こそ、破滅掌者の救誓譚なのです。
長々と語りましたが、こういった経緯で自分は色々な(偏ってこそいますが)知識を持っています。
その全ては最強を語る為。説得力のある最強を描写する為。強さを言葉に置換する為。破滅掌者の救誓譚とは、その集大成とも言える1つの結実なのです。
もちろん、初っ端からフルスロットルでいけば、読者を置いてけぼりにします。なのでまず最初はジャブです。ジャブの癖にドラゴンとか出ていますが。
そんな最強を追い求めた旅路の終着点(になるかどうかはまだ分かりませんが)がどうなるか、皆さん是非とも楽しみにしていてください。
最後に、破滅掌者の救誓譚の続きをどうしようかについてです。
一応クリスマスに書いた続編で続く気配を醸しましたが、続編の構想はあります。
ただ今までは小説の宣伝に注力していた事と、単純に「続けても誰かに読まれるかなぁ…!?」という不安から躊躇していました。
しかし、今回カクヨムコンということで多数に宣伝し、そしてそれが事実多くの応援として帰ってきた光景を見て、自信が付きました。
カクヨムコンが終わり、少しの休憩期間を挟んだら、続きをかければと思っています。
皆様、しばし始とディアドラ、そしてクリスの物語の続きが来るまで、期待して待っていてください。
彼らの救うと誓った譚は、まだ始まったばかりなのですから。