先日、ふと疑問に思った。
自分で書いた文章をAIに手直しさせた場合、それは自分で書いたと言えるだろうかと。
いまのWEB小説サイトの風潮だと、許容される方向性だろう。
わたしも、まあ「それはアリなんじゃね?」「むしろAIの適切な使い方では?」と思う。
だが、「文章を書く」を「歌を歌う」に置き換えてみた場合、どうなんだとちょっと思ってしまった。
わたしは音痴である。
自他認めるほどの音痴である。
この音痴のわたしの声をAIに覚えさせたとしよう。
それをAIに歌わせたらどうなるか?って話だ。
AIは音程を外すことなくメロディーを再現する。わたしの声で。
はたしてそれは私が歌ったことになるのだろうか?
ならないよね。
歌っているのはあくまでAIで、私の声をマネただけである。
断じて私が歌っているワケではない。
え? なんだろう? この違い。
歌はダメなのに、小説ならいいのか?
ちょっと疑問に思ったわけだ。
――まあ、この話。ちょっと考えてすぐ結論はでた。
小説は物語を自分で考えて、文章をAIに任せている。
歌は他人の作った曲を自分の声で再現しているだけに過ぎない。
そもそも前提が違うのだ。
音楽も曲を自分で作って、歌うのは自分の声を用いたAIなら自分で曲を作ったと言えるだろう。
同じだ。
ようは「自分で歌った」は歌うことのみを表現している。
歌ったに「作曲」は含まれない。
だが、「自分で書いた」は「物語を自分で作った」の意味が含まれている。
言葉の定義やニュアンスが違うのだ。
うん、ちょっとスッキリ。